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2009年6月24日 (水)

信長嫌い

私は、織田信長が大嫌いである。何年か前、木下藤吉郎役のガッツ石松が、信長から「サル」と罵倒されたことに腹を立て、ボコボコにしてしまうというCMがあったが、あれを見て胸がスカッとした。あのCMは、信長嫌いの本質をよくついている。もし上司が信長のような男だったら、誰でも同じような気持ちになるのではないか。部下からすれば、単にワンマンでパワーハラスメントの常習者にすぎない。パワハラも信長レベルに達すれば、殺意を抱かせるに十分であろう。

そして、現代の日本で、信長気取りの経営者がなんと多いことか。一国の首相が、自らを信長になぞらえるのだから、それも仕方あるまい。企業経営者なら、部下に対する横暴な振る舞い程度ですむが、信長の場合、その狂気を増幅し現実化させていった。私としては、信長を殺してくれた光秀に、心から感謝したいくらいだ。

ところで、歴史的に見て、信長はそれほど評価に値する偉大な英雄だったのだろうか。評価の理由は、戦国乱世の世を終わらせ、近世に導いたというところであろうが、それなら、江戸時代が良かったことの裏返しということになろう。歴史におけるIFは禁物と言われるが、たとえ信長がいなかったとしても、江戸時代のような近世社会が到来していた可能性は十分にある。社会の本質的変化は、経済発展の必然的結果であり、個人の役割はそれほど大きくはないと考えられる。

藤田達生秀吉神話をくつがえす 講談社現代新書によれば、当時、「天下布武」など言って天下統一への野心を抱いたのは一人信長だけであった。今川義元にせよ武田信玄にせよ、自ら天下を取るなどという大それた野望はなく、上洛して足利将軍を補佐しようと考えていたのである。それはちょうど鎌倉幕府の執権、北条氏のようなイメージではなかったか。当時からすれば、鎌倉幕府の滅亡は250年前であり、それほど昔のことではない。足利幕府には権力はなかったが、源氏名門としての権威は残っていたのである。だから、将軍家を盛りたてていこうと考えるのが普通であり、信長だけが異常な行動を取り、その後継者が秀吉だったことにより、歴史の流れを変えてしまったのだ。

そして、徳川幕府にせよ、幕藩体制という諸国連合だったから、ヨーロッパのような絶対王政は成立しなかった。また、鎖国のため、貿易は限定的なものとなり、その結果幕末には西洋諸国に大きく後れをとることとなる。このような国のあり方は、武家政権である以上誰が権力についても、大筋変わらなかったのではなかろうか。

また、信長は、有能な人材を積極的に登用する、今で言う成果主義を採用したと言われている。一方、林道勝のように織田家に代々仕えていた重臣でも、無能だと追放されてしまう。しかし、この方式が果たして成功したかどうかは疑問である。本能寺の変を起こした明智光秀は、有能さを買われ、織田家重臣となった。まさに成果主義によって大抜擢されたのである。しかし信長は、その光秀によって命を奪われてしまう。謀反の理由については諸説あるが、主従間に信頼関係がなかったことだけは確かであろう。

これは秀吉についても言える。草履取りから大名に取り立てられても、結局は主君を裏切ることになる。秀吉と違って信長には多くの子どもがいたが、秀吉は彼らを後継者にしようとはせず、自分が権力の座におさまってしまう。清州会議で有名な三法師(織田信秀)も、後年秀吉の臣下となる。

このように信長の人材登用は、結果からすれば明らかに失敗であった。信長が追放した林道勝のような代々の家臣団で固めた家康が、最終的には天下を取るのである。

また、悪名高い朝鮮出兵にしても、そもそもは信長が考えていたことである。信長は、朝鮮はおろか明国にまで攻めのぼることを夢想しており、秀吉は単にそれを忠実に実行したにすぎない。単なる夜郎自大の妄想が、今日に至るまで続く日朝間の禍根を残したのだ。

唯一信長に天才的な面があったとすれば、それは軍事面におけるものではないか。長篠の戦で見せたような近代戦を彷彿とさせる戦い方や毛利水軍を打ち破った鉄甲船のアイデアなどは、確かに当時の水準を超えたものであったろう。

織田信長の着想は、どちらかというベンチャー企業経営者のそれに近いような気がする。創業者のエネルギーはあっても、大きな組織を統率するだけの器ではなかったのである。その点では、家康の方が一枚も二枚も上手であった。

そう考えていくと、信長を英雄視する我々の常識にも、再考の余地がありそうだ。しかも、信長は日本史に大きな汚点を残している。それは、ジェノサイド(大量虐殺)である。

今、NHKでやっている「天地人」では、もし本能寺の変がなかったら、上杉家は信長によって滅ぼされていたとされている。

後継者の秀吉は、得意の調略により、比較的平和裏に天下統一を果たしたが、もし信長が統一していたとしたら、もっと多くの血が流されていたに相違ない。それだけでも、本能寺の変の功績は大きい。

さらに信長には、叡山焼き打ちや長島一向一揆との戦いなど、ことに仏教勢力との戦いにおいて、常軌を逸した行動が目立つ。関西を旅すると、信長による宗教弾圧の生々しい爪痕を今でも実感する。このことをもって、信長は無神論者だった言う人がいるが、それは誤りであろう。

大河ドラマ「信長」(緒形直人主演)では、信長は陰陽道の熱烈な信奉者であり、戦の際必ずお抱えの陰陽師・加納随天(平幹二郎)の占いに従って行動していた。また、手紙に自らを第六天魔王と書いたというが、これは反仏教的な傾向をうかがわせる。第六天魔王とは、仏法を滅ぼすために釈迦と仏弟子たちのもとへ来襲する天魔のことで、元々はバラモンの神であった。この点からも、信長は仏教以外の神々を信奉していた可能性がある。

信長が合理主義者であるとする説は、当時来日していたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの「日本史」の記述に基づく。しかし、文化人類学では己の所属する文化的枠組みによって解釈する傾向があることが指摘されており、ルイス・フロイスの言葉をそのまま信じるのは危険であろう。あるいは信長自身が友好関係のあったイエズス会宣教師の喜びそうなことを言った可能性だってある。また、信長は、自らを神体として拝ませるために摠見寺を建立しているが、これは合理主義者の行動として矛盾するのではないか。人間は、時代的制約の中で生きているのだから、いきなり近代合理主義者や唯物論者が現れるわけがないのである。ゆえに、寺院に容赦なく攻撃を加えたのは、無神論者だったからというよりは、仏教と対立する宗教を信じていたためと考えた方が筋が通るのだ。

ところで、私はヨーロッパで、信長とそっくりの人物を知っている。アンチ・クリストで、古代ゲルマンの神々を崇敬し、ジェノサイドを行った者、すなわち、アドルフ・ヒトラーである。私は、以前からは、信長とヒトラーは似ていると感じていた。ヒトラーはワーグナーをこよなく愛し、キリスト教とユダヤ教を否定した。ヒトラーはユダヤ人のみを虐殺したが、ゲルマンの復興という本音からすれば、キリスト教も外来宗教であり、その信者たちを虐殺したかったのであろうが、さすがにそれは現実的にかなわぬとみて諦めたのであろう。またヒトラーには、軍略家としての才能もあった。仏敵とアンチ・クリストの違いを除けば、両者は驚くほどよく似ている。

今日、平和の理念が謳われ、臓器移植法などおいても、命に対して過敏とも思われる反応すら見られる。これほど命が大切にされる時代にありながら、何故、戦以外で大量の殺戮を行った信長がこれほどに英雄視されるのだろう。私には理解できない。

もちろん現在の視点から、過去の人物を評価することはできない。しかし、そのことを差し引いても、今日の信長像には納得がいかないのである。

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