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2009年6月

2009年6月29日 (月)

不受理・不起訴の闇

 もう7、8年前のことになるが、私の父が、世田谷区内で、小学1年生ぐらいの子供がトラックにはねられるところを目撃した。警察がすぐにやってきて、トラック運転手と子供に事故の状況について尋ねていた。幸い子どもに大した怪我はなかったようだったが、その時運転手が語っていた内容が事実と明らかに違っていたので、父親が口を挟んだところ、警察官から「あんたは、いいから」と言われ、肩を手で押されたという。相手が幼児なら、加害者は自分にとって都合のいいことばかり話すに決まっている。それゆえ、第三者による中立的な目撃証言が、一番客観性が高いはずである。しかし、警察はそれに全く耳を貸そうとしなかったのだ。

帰った父親からその話を聞き、私は怒り心頭に発し、すぐに110当番通報した。事故の概要を述べた後、「だから、警察は信用されないんだよ」と皮肉を言った覚えがある。当時警察の不祥事が話題になっていたからだ。

その後、私のところに世田谷警察署の若い警察官からおどおどした口調の電話が入った。それでも、私が納得しないと見ると、今度は、Uという中年警察官による恫喝めいた電話がかかってきた。まるでヤクザのやり口と同じだった。

2、3日に経って、父親から、世田谷警察署から呼び出しを受けたという報告を受けた。調書を取られたわけでもなく、大した進展もなかったようだが、もうこの件には関わりたくない様子だった。

私は、怒りが収まらず、漫画「カバチタレ」(原作:田島隆)の中で、警視庁に異議申し立てをする際、監察官室に上申書を出すという話があったので、警視庁の代表に電話をかけ、監察官室につないでくれと言ったが、広報に回された。そこでもノラリクラリとした対応を受け、結局動いてくれなかった。さらに、検察庁にも電話すると、検事らしき者が出てきて、警察ともっと話し合ったらいかがですかなどと説教され、それでおしまいであった。

警察関係者に話してみても埒があかないので、地図で事故現場から一番近い小学校を探し出し、そこに電話をかけてみた。すると副校長が出てきて、その事故のことを知っていた。そこで、もし紛争になっているようなら、うちの父親が証人になると言うと、お礼を言われ、とりあえず両親にこのことを伝え、折り返し連絡すると言われた。数日後、副校長から電話があり、子供の怪我は大したことなかったので結構ですと親から言われたとのことであった。やれることはすべてやったと思ったが、やはり釈然としなかった。

それからしばらくして、寺沢有(『警察庁出入り禁止』風雅書房他)という警察不祥事の問題を追及しているジャーナリストの講演会があったので、聞きに行った。若いがなかなか気骨のあるジャーナリストで、非常に面白い内容であった。講演終了の後、名刺を交換し、この事件の経緯をまとめたレポートを手渡すと、数日後メールが届き、証拠がないので取材は難しいだろうとのことであった。

これで、もうこれ以上この問題にはかかわるまいと諦めたのであった。

ところで、裁判員制度がスタートして、世間の注目を浴びている。しかし、事件が起きてから起訴に至るまでのプロセスは、今もブラックボックスの中にある。つまり、誰からのチェックも受けないということだ。裁判制度よりむしろこの方が問題なのではないかとさえ思えてくる。今回のように、警察から無視されるというケースは、けして少なくないからだ。

警察で門前払いされたことで問題になったのが、桶川ストーカー事件(1999年)である。この事件では、女子大生が執拗なストーカー行為を受け、埼玉県上尾警察署に何度も相談に行き、告訴状を出していたにもかかわらず、警察は全く捜査せず、結局殺されてしまい、犯人も自殺するという最悪の事態を迎えた。ストーカー規制法は、この事件をきっかけにできたものである。

しかし、その後も警察は懲りる様子もなく、相変わらず門前払いは起きているようだ。先日知人の母親が振込め詐欺により100万円の被害を受けたため、警察に相談に行ったが、全く取り合ってくれなかった。母親には認知症があり、振り込んだことを全く覚えておらず、被害の自覚すらなかったからだ。家族の者が来ても、被害届は受け付けてくれないらしい。しかし、通帳には送金した記録があり、銀行の監視カメラでも本人がATMを操作している映像が残っている。誰かわからない相手に100万円もの大金を送るわけがないのだから、振込め詐欺に決まっているのだが、それでもダメなのだ。

 些細なことだが、私の携帯に架空請求のメールが届いた時にも警察に連絡したのだが、返事しないようにと言われただけであった。架空請求のメールには、先方の電話番号が記載されており、これにより悪質な業者を捜査できると思ったのだが、そういうことは一切やらないらしい。

 このようにたとえ警察に相談に行っても、被害届を受理するかどうかは、一方的に決められてしまい、受理されなければ泣き寝入りするより仕方がない。

 被害届が受理され、捜査が行われ、犯人が逮捕されても、起訴するかどうかは、検察の胸先三寸である。日本の場合、不起訴の割合は20パーセント前後である。

先日、NHKのクローズアップ現代で、検察審査会のことが取り上げられていた。検察審査会とは、国民の中から抽選で選ばれた検察審査員により、不起訴処分の善し悪しを審査するという制度である。あまり知られていないが、意外と古い制度で、検察審査会法は昭和23年に成立している。佐野洋の「検察審査会の午後」という小説もある。

しかし、これまでは、検察審査会による「起訴相当」という勧告が行われても、最終的な決定権は検察庁が握っていたため、そのまま不起訴処分にしてもかまわなかった。実際、検察審査会の勧告を無視して不起訴になったケースは少なくない。そして、被害者家族が不起訴になった理由を知りたくても、その判断基準さえ開示されることはなかった。だから、被害者家族は検察庁の言うことを、黙って受け入れるより他なかったのである。

ところが、今回、司法制度改革の一環で検察審査会法が改正され、今年の5月からは、検察審査会の勧告に法的拘束力が認められるようになった。これにより、検察庁は、検察審査会の決定を無視できなくなったのだ。

裁判になる手前の段階で、警察や検察の判断によって、多くの場合、物事が勝手に決められてしまう。この決定が正しければ別に問題ないが、人間のやることだから当然誤りがある。その場合、被害者家族は救われないことになる。民事なら訴えれば、とりあえず裁判に持ち込むことは可能だが、刑事事件の場合それができない。この辺に、民事と刑事の大きな違いがある。

そして、裁判制度に問題があることは、今さら言うまでもない。現在、起訴された事件の有罪率は99.9%である。つまり、無罪判決は千回に1回しか下されないことになる。この確率は、ベルトコンベアーに流れてくる製品の検品作業で不良品を発見する割合に近い。いや、不良品ならもっと多く見つかっているかもしれない。このような状況の中では、無罪判決を出す時裁判官に大きなプレッシャーがかかるのは当然であり、このことは、元裁判官によっても語られている(井上薫、秋山賢三)。そしてこれが、冤罪の原因になることは言うまでもない。また、起訴した以上、検察も面子がかかってくるので、不利な証拠は一切出さないといったことにもつながってくる。

先日、渡辺謙主演「平塚八兵衛 刑事一代」が放送された。渡辺謙の熱演でドラマとしての出来は良かったが、あの中で扱われた帝銀事件の平沢貞道は冤罪の可能性がきわめて高いと言われている。そして、我々が見てきた刑事ドラマも、警察が絶対正義であるというイメージを振りまくものばかりである。

絶対正義を希求する大衆心理はどこか幼稚であり、そこには、神の裁きにも似たイメージが重ねられているのではないか。成熟社会を迎え、そろそろこういった意識から脱却しなければならない。そのためには、警察や検察のブラックボックスにメスを入れるような仕組みを作らなければならないだろう。検察審査会法の改正は、その第一歩である。

また、マスコミも、警察や検察情報に頼っているため、警察や検察を徹底的に追及することができない。元大阪高検公安部長の三井環が、検察の裏金問題を告発したが、大手マスコミは一部を除きほとんど報じなかった。警察の場合、反対派閥からのリークがあるため比較的発覚しやすいが、検察の場合は一枚岩の硬い組織なのでリークは稀で、たとえあってもこのケースのようにマスコミによって握りつぶされてしまう。このようなマスコミの警察・検察依存体質は、いち早く改められねばならぬ。

寺沢有は、講演の中で、面白いことを言っていた。それは、第二警察のようなものを作って、別々の組織が互いにチェックするような仕組みを作らないかぎり、警察の不祥事はなくならいだろうというものだ。まさに卓見である。寺沢ら心あるジャーナリストの活躍を、心から期待したい。

 そして、犯罪が、警察と検察の思惑によって取捨選択され、冤罪が量産されていく世の中を根本的にChangeしてほしい。

2009年6月24日 (水)

信長嫌い

私は、織田信長が大嫌いである。何年か前、木下藤吉郎役のガッツ石松が、信長から「サル」と罵倒されたことに腹を立て、ボコボコにしてしまうというCMがあったが、あれを見て胸がスカッとした。あのCMは、信長嫌いの本質をよくついている。もし上司が信長のような男だったら、誰でも同じような気持ちになるのではないか。部下からすれば、単にワンマンでパワーハラスメントの常習者にすぎない。パワハラも信長レベルに達すれば、殺意を抱かせるに十分であろう。

そして、現代の日本で、信長気取りの経営者がなんと多いことか。一国の首相が、自らを信長になぞらえるのだから、それも仕方あるまい。企業経営者なら、部下に対する横暴な振る舞い程度ですむが、信長の場合、その狂気を増幅し現実化させていった。私としては、信長を殺してくれた光秀に、心から感謝したいくらいだ。

ところで、歴史的に見て、信長はそれほど評価に値する偉大な英雄だったのだろうか。評価の理由は、戦国乱世の世を終わらせ、近世に導いたというところであろうが、それなら、江戸時代が良かったことの裏返しということになろう。歴史におけるIFは禁物と言われるが、たとえ信長がいなかったとしても、江戸時代のような近世社会が到来していた可能性は十分にある。社会の本質的変化は、経済発展の必然的結果であり、個人の役割はそれほど大きくはないと考えられる。

藤田達生秀吉神話をくつがえす 講談社現代新書によれば、当時、「天下布武」など言って天下統一への野心を抱いたのは一人信長だけであった。今川義元にせよ武田信玄にせよ、自ら天下を取るなどという大それた野望はなく、上洛して足利将軍を補佐しようと考えていたのである。それはちょうど鎌倉幕府の執権、北条氏のようなイメージではなかったか。当時からすれば、鎌倉幕府の滅亡は250年前であり、それほど昔のことではない。足利幕府には権力はなかったが、源氏名門としての権威は残っていたのである。だから、将軍家を盛りたてていこうと考えるのが普通であり、信長だけが異常な行動を取り、その後継者が秀吉だったことにより、歴史の流れを変えてしまったのだ。

そして、徳川幕府にせよ、幕藩体制という諸国連合だったから、ヨーロッパのような絶対王政は成立しなかった。また、鎖国のため、貿易は限定的なものとなり、その結果幕末には西洋諸国に大きく後れをとることとなる。このような国のあり方は、武家政権である以上誰が権力についても、大筋変わらなかったのではなかろうか。

また、信長は、有能な人材を積極的に登用する、今で言う成果主義を採用したと言われている。一方、林道勝のように織田家に代々仕えていた重臣でも、無能だと追放されてしまう。しかし、この方式が果たして成功したかどうかは疑問である。本能寺の変を起こした明智光秀は、有能さを買われ、織田家重臣となった。まさに成果主義によって大抜擢されたのである。しかし信長は、その光秀によって命を奪われてしまう。謀反の理由については諸説あるが、主従間に信頼関係がなかったことだけは確かであろう。

これは秀吉についても言える。草履取りから大名に取り立てられても、結局は主君を裏切ることになる。秀吉と違って信長には多くの子どもがいたが、秀吉は彼らを後継者にしようとはせず、自分が権力の座におさまってしまう。清州会議で有名な三法師(織田信秀)も、後年秀吉の臣下となる。

このように信長の人材登用は、結果からすれば明らかに失敗であった。信長が追放した林道勝のような代々の家臣団で固めた家康が、最終的には天下を取るのである。

また、悪名高い朝鮮出兵にしても、そもそもは信長が考えていたことである。信長は、朝鮮はおろか明国にまで攻めのぼることを夢想しており、秀吉は単にそれを忠実に実行したにすぎない。単なる夜郎自大の妄想が、今日に至るまで続く日朝間の禍根を残したのだ。

唯一信長に天才的な面があったとすれば、それは軍事面におけるものではないか。長篠の戦で見せたような近代戦を彷彿とさせる戦い方や毛利水軍を打ち破った鉄甲船のアイデアなどは、確かに当時の水準を超えたものであったろう。

織田信長の着想は、どちらかというベンチャー企業経営者のそれに近いような気がする。創業者のエネルギーはあっても、大きな組織を統率するだけの器ではなかったのである。その点では、家康の方が一枚も二枚も上手であった。

そう考えていくと、信長を英雄視する我々の常識にも、再考の余地がありそうだ。しかも、信長は日本史に大きな汚点を残している。それは、ジェノサイド(大量虐殺)である。

今、NHKでやっている「天地人」では、もし本能寺の変がなかったら、上杉家は信長によって滅ぼされていたとされている。

後継者の秀吉は、得意の調略により、比較的平和裏に天下統一を果たしたが、もし信長が統一していたとしたら、もっと多くの血が流されていたに相違ない。それだけでも、本能寺の変の功績は大きい。

さらに信長には、叡山焼き打ちや長島一向一揆との戦いなど、ことに仏教勢力との戦いにおいて、常軌を逸した行動が目立つ。関西を旅すると、信長による宗教弾圧の生々しい爪痕を今でも実感する。このことをもって、信長は無神論者だった言う人がいるが、それは誤りであろう。

大河ドラマ「信長」(緒形直人主演)では、信長は陰陽道の熱烈な信奉者であり、戦の際必ずお抱えの陰陽師・加納随天(平幹二郎)の占いに従って行動していた。また、手紙に自らを第六天魔王と書いたというが、これは反仏教的な傾向をうかがわせる。第六天魔王とは、仏法を滅ぼすために釈迦と仏弟子たちのもとへ来襲する天魔のことで、元々はバラモンの神であった。この点からも、信長は仏教以外の神々を信奉していた可能性がある。

信長が合理主義者であるとする説は、当時来日していたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの「日本史」の記述に基づく。しかし、文化人類学では己の所属する文化的枠組みによって解釈する傾向があることが指摘されており、ルイス・フロイスの言葉をそのまま信じるのは危険であろう。あるいは信長自身が友好関係のあったイエズス会宣教師の喜びそうなことを言った可能性だってある。また、信長は、自らを神体として拝ませるために摠見寺を建立しているが、これは合理主義者の行動として矛盾するのではないか。人間は、時代的制約の中で生きているのだから、いきなり近代合理主義者や唯物論者が現れるわけがないのである。ゆえに、寺院に容赦なく攻撃を加えたのは、無神論者だったからというよりは、仏教と対立する宗教を信じていたためと考えた方が筋が通るのだ。

ところで、私はヨーロッパで、信長とそっくりの人物を知っている。アンチ・クリストで、古代ゲルマンの神々を崇敬し、ジェノサイドを行った者、すなわち、アドルフ・ヒトラーである。私は、以前からは、信長とヒトラーは似ていると感じていた。ヒトラーはワーグナーをこよなく愛し、キリスト教とユダヤ教を否定した。ヒトラーはユダヤ人のみを虐殺したが、ゲルマンの復興という本音からすれば、キリスト教も外来宗教であり、その信者たちを虐殺したかったのであろうが、さすがにそれは現実的にかなわぬとみて諦めたのであろう。またヒトラーには、軍略家としての才能もあった。仏敵とアンチ・クリストの違いを除けば、両者は驚くほどよく似ている。

今日、平和の理念が謳われ、臓器移植法などおいても、命に対して過敏とも思われる反応すら見られる。これほど命が大切にされる時代にありながら、何故、戦以外で大量の殺戮を行った信長がこれほどに英雄視されるのだろう。私には理解できない。

もちろん現在の視点から、過去の人物を評価することはできない。しかし、そのことを差し引いても、今日の信長像には納得がいかないのである。

2009年6月22日 (月)

プロレス論(続き)

興が乗ってきたので、プロレスについてもう少し……。

ミスター高橋は、長年新日マットのレフリーとして活躍してきただけに、暴露本とは言え、『流血の魔術 最強の演技-全てのプロレスはショーである-』には示唆に富んだ指摘が多い。ミスター高橋がなぜこのような本を書くに至ったかと言えば、新日が彼の功績に報いず無慈悲に使い捨てたからである。新日をクビになった彼は、その後警備員になったという。それによって、多くのファンを失うことになったのだから、全く馬鹿な話である。

ところで、ミスター高橋によれば、レスラーの評価基準には「強さ」と「うまさ」の二つがあるという。強いレスラーの代表が坂口征二や長州力で、坂口は柔道で、長州はアマレスで(ただし、韓国代表)、それぞれオリンピックに出場している。一方、うまいレスラーの典型は藤波辰爾である。藤波は、中学卒業後自動車整備工場で働いた後、新日本プロレスに入門したが、その後カールゴッチ杯で優勝して頭角を現し、端正なマスクと華麗な技で人気を博した。後年、長州と名勝負を繰り広げた藤波だが、格闘家としての実力はいまいちで、ガチンコ勝負なら入門1年目の新人にすら勝てないだろうとのことだ。

その点、アントニオ猪木は、「強さ」と「うまさ」を兼ね備えた選手で、それゆえ長年トップの座に君臨することができたのだ。しかし、その猪木ですら、ウィリアム・ルスカのように、日本人とはかけ離れた肉体をもつ外人レスラーには歯が立たず、そのことは猪木自身が一番よく知っていたとのことである。(したがって、猪木・ルスカ戦は100パーセント八百長だそうだ)

日本の場合、上に立つ者にはやはり「強さ」が必要で、馬場や猪木が長い間社長の座につけたのも、実力的裏付けがあったからに他ならない。

女子プロレスの話だが、ジャパン女子プロレスのメインエベントで、神取忍がジャッキー佐藤をボコボコにしてしまったことがある。力道山・木村政彦戦を彷彿させる凄惨な試合だったという。当時ジャッキーはジャパン女子プロレスの中心選手だったが、不満があったのか、神取が筋書き無視していきなりセメントを仕掛けたのだった。この試合がテレビで放映されることはなかったが、スポーツ紙によれば、ジャッキー佐藤は泣きながらリングから逃げ去ったという。このようなことがあるため、弱い者がトップを張るわけには行かないのだ。

しかし、ショウビジネスに徹するアメリカでは、「強さ」は全く評価の対象にはならず、「あの選手は強い」などと言っても、「それがどうかしたのか?」といった顔をされるという。この辺に、日米プロレスの違いが垣間見られる。

そして日本では、「強さ」の神通力は、レスラーたちだけではなく、背広組と呼ばれるフロントにまで通用するようだ。猪木モハメド・アリ戦の仕掛け人として、また新日黄金期の立役者として有名な新間寿(元営業部長)は、その著書の中で、自分が「社長」のことを心から尊敬する理由として、アクラム・ぺールワン戦のことを挙げている。

1976年にパキスタンのカラチで行われたこの試合には、私も鮮烈な印象を持っている。20世紀初頭、インドのグレート・ガマは、アメリカの名レスラー、スタニスラウス・ズビスコを僅か数分で打ち破るという快挙をなし遂げたが、ガマを輩出したインドは、隠れた格闘技大国でもあった。

ガマのインド式レスリングの流れを汲むぺールワンは、当時パキスタンの英雄であった。そして、4万の熱狂的観衆が見守る中、猪木は試合数分後、ぺールワンの腕をアームロックで文字通りへし折ったのだ。今も、ブラブラと不自然な方向に揺れ動くぺールワンの腕の映像がくっきりと目に焼き付いている。新間は、この時リング下にいたが、敵意に満ちた群衆の目にさらされ、本当に殺されるかもしれないと思ったそうだ。そして、この時の経験があったからこそ、猪木の女房役として一生捧げようと誓ったのだという。

しかし、この本が出版されて間もなく、新間は猪木にあっさり裏切られる。新間は、新日プロレス営業部長を解任され、その後、前田日明らによるUWFの旗揚げに参加する。しかし、このような仕打ちにあってもなお、スポーツ新聞紙上を通して猪木にラブコールを送り続けたのだ。この記事を読んだとき、こいつはホモではないかと疑ったくらいだ。

猪木は人を裏切ることが平気なタイプのようで、このようなエピソードは他にもある。しかし、それでも新間の未練絶ちがたかったのは、ひとえに「強さ」に対する本能的な憧れからであろう。猪木には多くの人間的欠陥があったが、それでも新日を牛耳ることができたのは、やはりレスラーとしての実力を誰もが認めざるを得なかったからではないか。

三沢光晴がノアの社長として求心力を持ちえたのも、彼が真に優れたレスラーであったからだ。足利工業大学付属高校レスリング部で国体優勝経験もあり、タイガーマスク時代の空中殺法を思い起こせば、彼が人並み外れた身体能力の持ち主であったことは疑いえない。

三沢はこれに加え、猪木にはない美質があった。三沢は人にやさしく、後輩思いだったという美談にことかかかない人物である。馬場の死後、多くの選手たちを引き連れて全日を離脱したが、それもオーナーだった馬場元子が、当時社長であった三沢にすらボーナスを10万円しか支払わず、選手たちの不満はピークに達していたからだという。そんな三沢であればこそ、プロレス界が低迷する中、他団体との交流においても中心的役割を果たすことができたのだろう。三沢を失ったことによるプロレス界の損失は計りしれない。

ところで、三沢光晴の訃報をめぐるニュースの中で、ある懐かしい人物の顔を目にした。それは、ノア副社長としてコメントしていた百田光雄である。いわずと知れた力道山の次男である。しばらくプロレスから離れていたので、今はノアにいるとは知らなかった。

全日時代の百田光雄は、「6時半の男」として人気の高い前座レスラーであった。兄の義浩とともに百田兄弟として名を馳せたが、兄はすでに他界している。

レスラーとしての、百田光雄の評価は高く、持ち味豊かないぶし銀ファイトが多くのファンを魅了していた。しかし、体に恵まれなかったため、一度もメインエベンターになることなく、地味なポジションのまま、若手の育成に力を注いできた。力道山という偉大な父を持ちながらも、トップの座を張れるだけの実力がなければ、縁の下の力持ちとなるより仕方がないのだ。

最強と謳われたジャンボ鶴田でさえ、肝炎発病後は前座レスラーに甘んじている。そして、ジャイアント馬場の死後、その後を追うかのように静かにこの世を去った。これがプロレスなのだ。

最近、政治家の世襲制の話題で持ちきりだが、八百長と言われつづけたプロレスは、世襲とは最も縁遠い世界なのではなかろうか。恵まれた肉体、身体能力、スター性、三拍子そろった天分を親から受け継ぐことは不可能に近い。坂口憲二は有名になったが、俳優としてである。

才能なき者が、親の七光りだけでスターダムにのし上がるようなことは、プロレスではありえない。プロレス界におけるストイシズムを、政治家は見習ってほしい。

2009年6月17日 (水)

三沢光晴の死

実は私は、プロレスファンである。いや、かつてファンであったと言った方がよいかもしれない。さすがに力道山の時代は知らないが、馬場・猪木の全盛期はこの目で見てきたし、長州・藤波の新日黄金期の頃もテレビにかじりついていた。

プロレスは当初より八百長のイメージがあり、相撲の八百長疑惑などといったものではなく、熱心なファンも含め、プロレスの試合が真剣勝負だと思っていた者はほとんどいなかったのではないか。そこに、レスラーたちの悲劇があった。力道山も長州力も八百長を強く否定し、アントニオ猪木はプロレス最強論を声高に唱えた。猪木はその自伝の中で、「私が強かったのではない。プロレスそのものが強かった」という名言を吐いている。

70年代後半になると、後年直木賞作家となる村松友視が、「私、プロレスの味方です」の中で、プロレスが八百長かどうかということよりも、凄みとドラマツルギーという視点から、プロレス擁護論を展開した。村松の「プロレスはプロセスである」という言葉に、多くのファンたちは合点が行ったのではないか。この凄みを最も体現したレスラーは、やはりアントニオ猪木であった。生涯二度のセメントマッチと言われるモハメッド・アリ戦やアクラム・ペールワン戦は、村松の指摘を裏づけるものとなった。

しかし、90年代に入ると、このようなプロレス観も次第にかげりを帯びてくる。その原因となったのは、やはりK1やプライドなどリアル格闘技の台頭である。エメリヤーエンコ・ヒョードルに新日のエース永田裕志が秒殺され、さらに小川直也もヒョードルにはあっさりと負けてしまった。このような事実の前には、凄みもくそもなかった。

さらにユセフ・トルコやミスター高橋などプロレス関係者による告発本が、追い討ちをかけた。ミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技-全てのプロレスはショーである-』には、アンドレザ・ジャイントに猪木のボディスラムを受けさせるために、1箇月間酒場に連れて行って説得したなどという生々しいエピソードがあり、多くのプロレスファンたちを興醒めさせた。かくいう私も、この本をきっかけに、K1やプライドに関心を移していった。

こういったプロレス凋落傾向の中で、三沢光晴率いるノアが旗揚げした。ジャイアント馬場が亡くなってすぐ後のことである。このような理由から、私は、ノアの試合をほとんど見たことがない。こうしてノアは細々と興業を続けていたが、深夜の時間帯のプロレス中継まで打ち切りが決まった直後に、三沢は帰らぬ人となったのである。

三沢は2代目タイガーマスクであったが、私は劇画「タイガーマスク」にも夢中になった世代である。物語のタイガーマスク(伊達直人)はトラックに轢かれて命を失う。そして、意識が薄れゆく中で、自分がタイガーマスクであることを知られぬよう、覆面を川に流すのだ。伊達は、自分がかつて世話になった孤児院「ちびっこハウス」に援助をしていたが、同ハウスの寮母ルリ子は、タイガーマスクの正体が伊達直人であることに気づいていた。タイガーマスクの死を知って悲しむ子どもたちにルリ子は、星空を指差してタイガーマスクは星になったのだと語りかける。そして、夜空にタイガーマスクの星座が浮かびあがるシーンがラストだったように思う。

バックドロップでマットに叩きつられて幕を閉じた三沢光晴の人生は、ある意味劇画以上にドラマチックだったと言えるのかもしれない。

ところで、初代タイガーマスクは佐山聡だが、つい先日、「行列のできる法律相談」の北村弁護士の「私の会いたい人」というコーナーで、久しぶりにテレビに登場した。今は掣圏道掣圏真陰流という実践格闘技を創設し、その指導者になっている。テレビでは、「夢をこわしてはいけないから」と言って終始タイガーマスクの覆面を脱がなかったが、プロレスファンなら、佐山の素顔は誰でも知っている。ちょっと茶目っけぶりを発揮したのであろう。佐山もすでに50歳を過ぎており、あるいは老けた素顔をさらしたくなかったのかもしれない。

この番組以外で、しかも実に意外なところで佐山の名を目にしたことがある。それは、一水会のホームページである。一水会の主催の講演会の講師リストの中に、佐山の名前を発見したのだ。最初、同姓同名の別人かと思ったが、彼はれっきとした右翼活動家だったのである。

二人のタイガーマスクは、どちらも個性的で、波乱に満ちた人生を送っているようだ。

そしてこれは、タイガーマスクの産みの親である梶原一騎についても言える。先日、少年サンデー、マガジンの創刊50周年企画でドラマが放送されたが、その中に梶原一騎が登場したので、懐かしくなって斎藤貴男の「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」を読んだ。晩年には暴力団との関係が噂され、自らも暴力事件を引き起こして逮捕、そして刑務所を出てから大病に倒れ、50歳の若さで他界する。梶原一騎の人生もまた波乱に満ちたものであった。

虎は自然界最強の動物であり、中国・韓国では荒ぶる自然の象徴として、神の座に祭り上げられている。虎と縁を結んだ人々もまた、平凡な生き方を許されていなかったのかもしれない。

2009年6月15日 (月)

祝祭としての刑罰

私が日本の刑事制度についていつも感じるのは、言いようのない陰湿さであり、ホンネとタテマエの乖離である。

憲法36条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対に禁ずる」と明記されているにもかかわらず、志布志事件で明らかなように、取り調べ中に心理的拷問が行われていた。この事件で報道された行き過ぎた捜査は、直接的暴力以上に人の心に深い傷を与えるものだ。

また、「疑わしきは被告人の利益に」などと言いつつ、周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」を見ればわかるように、大した合理的理由もなく、有罪判決が次々に出されていく。「行列のできる法律相談」の中で、北村弁護士は、痴漢の罪を着せられそうになった時の対処法として、「全速力でその場から逃げ去る」と答えている。つまり、専門家の目から見ても、警察や検察や裁判所は信用できないということだ。また、同番組で以前丸山弁護士は、裁判官と検察官はいわばチームのようなもので、いつも同じ顔ぶれで、ベルトコンベアーの流れ作業のように事件を処理していると述べていた。

また、憲法76条には裁判官の独立が高らかに謳われているが、裁判官の人事権は、最高裁判所、実際には法務官僚が握っている。「狂った裁判官」の著者で、日本で二例しかない再任拒否をされた元横浜地裁判事の井上薫も、多くの裁判官が出世のことを考えながら判決を下していると述べている。

長沼ナイキ基地訴訟で自衛隊に違憲判決を下した福島重雄判事は、事件の翌年、東京地裁の手形担当に異動となり、停年時は家裁判事として退官している。こんな見え見えの懲罰人事がまかり通れば、己の良心に従って判決を下すことなどできっこないのだ。憲法で謳われた裁判官の独立性など、所詮絵に描いた餅にすぎない。なお、福島元判事は、この4月に事件を回顧した著書を出版している(「長沼事件平賀書簡 35年目の証言、自衛隊違憲判決」 日本評論社)

このような陰湿さは、刑罰においても言える。

多くの伝統社会において、刑罰には、祭りと似たような機能があったのではないか。衆目環視の中で刑を執行することは、共同体との関係性の回復といった側面もあったように思われる。江戸時代に行われていたという市中引き回しとかむち打ち等は、まさにそのようなものであったはずだ。故に、現代のようにただ密室に閉じ込めておくよりカラッとしており、見せしめの意味がある一方、社会復帰の点でも効果的であったのではないか。大勢の前で恥をかかせられた者に対しては、許しの感情が自ずと湧いてくるものだ。

中国では2007年まで公開処刑が行われていたというが、一方、社会の受入は日本より遥かにスムーズで、前科のある知事や経営者がたくさんいたという。日本とは異なり、獄中にいたという経歴が社会的にマイナス評価につながらないのだ。(王雲海「日本の刑罰は重いか軽いか」集英社新書)

人の犯した罪が、その社会の一定の許容範囲を越えた場合には、死刑が執行されねばならない。しかし、これに関しても密室で行われた方が人権に配慮されているなどとは、必ずしも言えないように思う。もしイエス・キリストが磔の刑に処せられなかったら、キリスト教の歴史は異なったものになっていたろう。ヨーロッパ社会は後年キリスト教を受容することになるので、その結果、権力と戦った聖者としてのイエス像が確立される。一方、石川五右衛門のように、純然たる悪党でも、処刑は人生の幕引きに花を添えるものである。もし石川五右衛門が現代に生きていたとしたら、密室の中で絞首刑にされるのと、大勢の前で釜茹でにされるのと、どちらを選んだであろうか。

現代ではプラバイバシーの保護が尊重されるあまり、何でもかんでも密室化することが善であり、人権に配慮することだと思われがちである。その結果、公開処刑という、癒しや関係性の回復、道徳教育、そして祝祭の機能を持つ場が一切否定されてしまったのである。公開処刑にはもちろん残虐で非人道的な面もあるが、本人の同意さえとれば、今日においてもこのような選択肢があってもよいと思う。もし麻原彰晃の意識がはっきりしていれば、真っ先にこのような道を選ぶべきだろう。

また、ガンも本人に告知するようになりつつあるが、死刑の執行日も死刑囚に早めに伝えるべきではなかろうか。いつ呼ばれるかわからぬ中で日々怯えているよりも、その方がよっぽどましだろう。そして、執行方法は一律に絞首刑だが、それも本人に選択させたらどうだろうか。L.ソンディのように、死の様式を無意識の根源的衝動と捉える心理学者もいる。死に方という人生最後の選択ぐらい、本人にさせてやるのが本当の意味で人道的なのではないか。これは何も公開刑のことばかり言っているのではない。もしこのような選択を与えたら、薬物死を望む者が多く出てくるのではないか。

現代の刑事制度は陰湿で、人間の生理とかけはなれたものになってしまっている。近代以前の制度から、もっと学ぶべきところがあるような気がするのだ。

2009年6月 9日 (火)

冤罪について

足利事件が新聞やテレビで連日報道され、強引な取り調べをした捜査当局や上告を棄却した裁判所に対する批判が高まっている。サンデープロジェクトでは、田原総一郎が何人かの裁判官を名指しで上げ、「こんなやつらは逮捕すべきだ」と語っていた。私も全く同感である。

冤罪というと、稀にしか起こらないことのように思われがちだが、交通事犯や軽犯罪を含めれば年間数千のオーダーで発生していると言われている(浜田寿美男「自白の心理」岩波新書)。まさに、明日は我が身なのだ。

 私は、昔から冤罪事件に関心があり、現在冤罪被害者を支援するグループにも所属している。しかい、こういった運動に係る人々はリベラルの傾向があり、同時に死刑制度にも反対である場合が多い。しかし、私は死刑制度は絶対に存置させるべきだと考えている。

 冤罪をなくすためには、取り調べの全面可視化が不可欠だが、同時に「疑わしきは罰せず」の理念を貫徹させなければならない。これは、グレーは白と見なすことであり、それは、犯罪を立証できなかった真犯人たちを大量に野に放つことを意味するのだ。このような問題があるからこそ、捜査当局は、多少の冤罪はやむをないと考えているのだろう。

 私はそれでも冤罪をなくすことを優先すべきだと考えるが、この場合取り得る方法は、一つしかないはずだ。すなわち、グレーは無罪放免にするが、黒については厳罰化しかつ見せしめにするというものである。、

 しかし、冤罪被害者支援グループの多くは、この辺に関しての認識がいま一つ甘いように思われてならない。だからこそ、死刑を廃止せよなどといった脳天気なことが言えるのだろう。大量の真犯人が野に放たれれば、その先に大量の被害者たちがいるのだ。彼らの傾向として市民性善説があると思われるが、私に言わせれば、市民の約2割が犯罪予備軍であり、1割が実際に悪事に手を染めている者たちである。

ちなみに、私はハローワークで紹介された会社が3社続けてアウトロー系企業だったことがある。そのうちの1社は企業舎弟であり、社長が広域暴力団の構成員で、後に逮捕された。

この経験によりアウトロー系企業の連中が何を考えているか、普通の人々より少しは知っているつもりだ。彼らの多くは経済犯や知能犯だが、こういった連中は間違いなく法律や刑罰を睨んで悪事を行っている。そして、やつらにとって問題なのは、法律に抵触するかどうかではない。もっと言えば逮捕されるかどうかですらないのだ。唯一恐れているのは、逮捕された後裁判で実刑判決をくらうことなのである。だから、その心配さえなければ、どんなことでもするのである。

ある社長は、占有屋のようなことをやっていたが、民法改正により規制が強化された途端、その仕事から手を引いてしまった。

アウトロー系企業にとって実刑判決をくらうことは、経済上のリスクなのである。リスクが低ければその行為を何度でも繰り返すし、高くなればその仕事から手を引く。故に、罰則を強化しなければ、やつらのやりたい放題の犯罪者天国になってしまうのだ。

グロバール化によって、この傾向にさらに拍車がかかる。犯罪という経済行為にとって刑罰がリスクであるということは、世界共通である。以前にも触れたが、中国では麻薬犯にはとりわけ厳しく運び屋をしただけでも死刑になる。ということは、麻薬取引を行う上で、中国はリスクが高いということになる。であれば、国境を越えリスクの低い日本で同じことをした方が、経済合理性にかなっているということになる。というわけで、グロバール化社会では、刑罰のぬるい国に犯罪が集中していくこととなる。人件費の安い海外に生産拠点が移り、産業が空洞化しつつある中、その一方で、犯罪が海外から流入してきたら、泣きっ面に蜂ではないか。

日本では、詐欺罪は立証しにくいためなかなか逮捕できず、刑務所は、万引きや無銭飲食で捕まった知的障害者やホームレスで溢れかえっている。こういう知的能力の劣った捕えやすい人々ばかりを有罪にして、本当の悪者を取り逃がしているのが、現在の刑事制度の実態なのだ。

これには法律の問題もあり、例えば、結婚詐欺など実際に婚姻届を提出して入籍してしまえば詐欺罪は成立しないため、この手口は何度でも使え、当然前科にもならない。

しかし、膨大な数に及ぶ詐欺を立証し有罪にすることは現実には不可能であろう。そのためには、大量に警察職員を増員し、莫大な予算を投入しなければならない。それは明らかに不経済だし、また、そのような警察国家にすることは健全ではない。だから、現実的には、一罰百戒の見せしめ的方法を取るしかないはずなのだが、日本の刑事制度はこれを否定している。見せしめは、何もそんな理不尽なことではなく、アメリカなどでも現に行われている。例えば、ネズミ捕りのように、犯罪類型、地域、期間を限定し、集中的に捜査を行うというような方法がとられている。そして、運悪く網にひっかかった犯人に対して、思いっきり重罪を科せば、当然抑止効果になる。「疑わしきは罰せず」の理念を貫くためには、このような刑事政策とセットで考えなければならないはずで、真剣に冤罪をなくしたいと考える者こそ、死刑存置派でなければならないのだ。

なぜなら、見せしめで一番絶大な効果を発揮するのは死刑だからである。私は、詐欺罪でも悪質なものについては、死刑にすべきだと考えている。

1985年豊田商事事件が起こった。地金を使った悪質商法により、被害者は高齢者を中心に数万人、被害総額は2000億円に及んだと言われている。会長の永野一男は逮捕当日、刺殺されている。

犯人は二人だったが、主犯格の飯田篤郎は、鉄工所経営者だった。刺殺した後飯田は、

「殺ってきた。犯人が俺や。警察呼べや。これで死んどらんかったら、またやったる。87歳のボケ老人騙しくさって、850万円もとったやつやからな。当然の報いじゃ」

そして、駆け付けた警察官に対して、

「法律は手ぬるい。わしがやらんかったら、他にやるものはおらん」

と言ったという。

その後、犯人の二人には、懲役10年と懲役8年の実刑が確定した。温情判決だった。

私は飯田のこの言葉に100パーセント共鳴する。永野のような極悪非道の犯罪者に対しては、たとえ人を殺してなくても死を与えることこそが、国家権力の使命なのだ。

永野の死後、豊田商事の残党たちは全国に散らばり、また、悪質商法を始めたという。

2009年6月 7日 (日)

殺人について

殺人に関しては、コリン・ウィルスンのような文学者の考察や事件記者のルポルタージュのようなものはあっても、本格的な学問研究はほとんどなく、まだ緒についたばかりと言えよう。これは、長い間この研究をタブー視する傾向があったからではないだろうか。同研究の先駆者である長谷川眞理子にしても、これをテーマに扱った単著はまだなく、翻訳を一冊手がけているだけである。(M・デイリー他『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく―』新思索社)

長谷川の視点は、この問題に進化生物学の立場からアプローチするというもので、これは、殺人を動物における殺戮と同列に論じるということを意味する。

昔は、同種間における殺戮は存在しないと考えられていた。例えば、南極のペンギンの群れが海にさしかかると、一匹が海面に飛び込むという。もし海の中にペンギンの天敵であるアザラシなどがいれば、その一匹だけが犠牲になればすむからだ。これを利他的行動という。勝手な憶測だが、前期近代の村落社会において行われた人柱や人身御供なども、これと類した現象ではないか。

いずれにせよ、同種間での殺しあいはないというのが定説だった時代がかつてあり、ノーベル賞受賞者のコンラート・ローレンツなどは、『文明化した人間の八つの大罪』(新思索社)の中で、戦争や経済競争、環境破壊の存在しない動物社会を、あたかも楽園のようにとらえていた。しかし、この夢想は彼自身が重視した行動観察によって覆される。動物社会においては、人間とは比較にならぬほどの頻度で、同種間における殺戮が行われていたからだ。

例えば、新しくリーダーになったライオンの雄は、前リーダーの子どもを殺す。これは、子ライオンの死亡原因の23割にも達するという。このような行動は、己の遺伝子のみを増殖させていくという、利己的遺伝子の立場から考えれば容易に説明がつく。

日本でもかつては、戦に負けた武将の子どもたちは殺されたが、それはその子が成長して敵討をされないためであると言われ、平清盛は平治の乱で源義朝に勝利したが、その際頼朝や義経を殺さなかったことが、平家の滅亡につながった。しかし、このような武士の掟は、上記のようなライオンの行動と関連づけることも可能なのではないか(敵討を防げば、すなわち、自分の遺伝子を増やすことにもなる)。今でも、連れ子の女性と結婚した男性が、妻の前夫の子どもに対して虐待を加えたり、時には殺してしまうという事件が起きているが、この時の夫の心理の背後には、このような原理が隠れていたのかもしれない。

そして、動物行動に淵源する殺人は他にもあるであろう。それをもっと研究する必要があるのだ。

『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく―』には、インドシナやパブアニューギニアで見られる「アモク」という興味深い文化現象のことが紹介されている。「アモク」の状態になった男性は、突然暴れだし周囲の者を無差別に殺害していく。これには健忘症が伴い、犯人は事件後自分がやったことを全く覚えていない。「アモク」にかかるのは35歳以下の男性で、何らかのコンプレックスを持っている場合が多いという。また、周囲に親戚がいる場合には、「アモク」は起こらない。

「アモク」は、日本で言えば狐憑きなどと類似した現象であろう。また、横溝正史の『八つ墓村』のモデルとなった津山事件(1938年)とも似ているかもしれない。この事件の犯人・都井睦雄は、犯行後自殺してしまうが、当時21歳であり、結核のため徴兵検査に不合格し、村八分のような扱いを受けていたという。また、昨年の秋葉事件との類似性も指摘できるかもしれない。

ところで、現代の刑法は、近代法である以上近代思想のパラダイムの中に位置づけられている。それを一言で言えば、ヒューマニズムということになる。この思想によれば、人間の本質は真・善・美であり、犯罪はこのような人間本来のあり方からの逸脱ということになる。それゆえに、改悛や更生・矯正が、刑事政策の主要な課題となっていくのであろう。人間本来の姿に戻りなさいというわけだ。

しかし、先ほどのライオンの例のように、これは人間で言えば嬰児殺しに当たるが、そこには真・善・美もくそもない。ただ遺伝子の命令に従って、己の遺伝子を淡々と増やしているにすぎない。

だから、こういった内心の自由に踏む込むような刑事制度は、改めた方がいい。もちろん、すべての人間が利己的な遺伝子の命令に従ったとしたら、社会は成り立たなくなるであろうから、調整機能としての掟は必要である。しかし、それは人間的本質から逸脱したことに対する制裁ではなく、単に社会の行動規範から逸脱したことに対する制裁であれば十分であろう。この場合、掟は厳しければ厳しいほどよいのである。

前回触れた荒川沖駅通り魔殺人にしてもそうだが、最近は、犯人が裁判で謝罪しないケースが増えているような気がするが、これはある意味でよい傾向だと思う。その方が犯罪の本質を浮かび上がらせることができるからだ。また、心にもない口先だけの謝罪によって、被害者感情が癒されるとも思えない。被害者感情を慰藉するための唯一の方法は、犯人に対して可能なかぎり厳しい刑罰を与えることしかありえないと思う。復讐もまた、動物界と共通の基底をもつ、本能の一型に他ならないと考えるからだ。

2009年6月 5日 (金)

荒川沖駅通り魔殺人事件について

荒川沖駅通り魔殺人事件の金川真大容疑者の公判における発言が報道された。

「人を殺すのは、蚊を殺すのと同じ」

「ライオンがキリンを殺すようなもの」

「人を殺したのは死刑になるため。この方が自殺するより手っ取り早い」 etc.

元検事で弁護士の河上和雄氏は、この異常で理解不能な発言は、刑事責任を免れるために弁護側が画策した法廷戦略とコメントしていた。

しかし、これが異常で理解不能な発言と果たして言えるだろうか。特に三番目の発言など理解しやすいし、彼の心のうちの素直な表明と言えなくもない。

この前の「爆問学問」(NHK)で長谷川眞理子氏が出演し、進化生物学の立場から殺人について語ってくれた。まだ研究途上の学問ということもあって、明確な結論は出なかったが、興味深い内容であった。まず統計的に見て、殺人は20代の男性に最も多く、これは動物の雄における闘争と無縁ではないことを示唆していると述べていた。また、統計的に見て、現代の殺人事件の発生率は、昔に比べ5分の1ぐらいに減少しているとのことであった。これは、通常の我々の感覚とは全く逆行するものであった。

この減少をどう捉えるかであるが、昔に比べて20代の若者の道徳意識が向上しているからだとはとても思えない。経済的に豊かになったことも要因だろうが、それに加え、現代社会には本能の暴走を吸収する様々な手段があるからだとは考えられないだろうか。つまり、青少年に悪影響を与えると見なされがちのコミック、映画、ゲーム等が、殺人衝動の代償の役割を果たしている可能性も、あながち否定できないのである。

また、長谷川氏は、このような性格を持つ殺人事件が、社会から消えてなくなることはけしてありえないとも指摘していた。

長谷川氏の主張を、私なりに解釈すれば、殺人は本能の次元に根をもつ行動である、ということになる。金川容疑者の「ライオンがキリンを殺すようなもの」という言葉は、それを象徴している。考え方によっては、殺人を抑止する道徳や法律の方が、社会を維持させるための表層上のシステムと言えなくもない。

だとしたら、本能という深い次元から突き動かされた行動を、人は心から改悛するものだろうか? 従来、貧困や不遇によって人は殺人の罪を犯すのだという見方が一般的であったが、これは根本的に誤っているのではなかろうか。ゆえに私は、殺人に対して教育刑的などといったぬるい発想は、すべて打ち捨てるべきだと考えている。

本件においても、金川容疑者は死を望んでおり、死刑になるために人を殺したのだとさえ言っている。遺族としても、全く反省していない容疑者をけして許さないだろう。誰も望んでないことを、何故国家権力が割って入ろうとするのだろうか。これを、世間の言葉では、余計なおせっかいと言うのである。さらに、前回述べたように残虐な刑を執行すれば、すべての人々の満足度は最大限に達するのである。

2009年6月 3日 (水)

公開処刑を復活せよ

憲法改正の議論がかまびすしくなっている。私も、戦後アメリカによって作られた憲法にはそろそろ手を入れた方がよいと思っている。しかし、どこをどのように改正すればよいかという点になるとさっぱり意見がまとまらず、そのことが改正の実現を困難にしている。大方の関心は9条にあるようだが、それすら対立する議論が収束する気配は見られない。

実は私にとって関心があるのは9条ではない。それどころか、民主憲法の美点として、恐らく誰一人疑ったことのないある条文が、気にくわなくて仕方がないのである。それは、憲法36条である。すなわち、

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」

である。

正確に言うと、拷問には絶対に反対である。このような条文があるにも関わらず、現実には拷問に近い取り調べは行われており、そのことが冤罪の原因になっているのだ。私は、冤罪は絶対になくさなくてはならないと思っている。

しかし、残虐な刑罰についてはどうだろうか。刑罰にはそもそも見せしめ的な要素がなくてはならないはずで、近代以前においてはそれが当たり前だった。

例えば、江戸時代、犯罪を犯した者に対しては、市中引き回しという刑罰が与えられていた。これは、日本人にとって最もこたえる恥を罰として与えるものだ。そしてその結果、江戸の治安は保たれていたのではなかろうか。江戸の人々の道徳意識は現代の日本人より遥かに高かったと推測される。幕末に横浜に来た外国人が、道端に落ちていた財布を何日間も誰も拾おうとしないので感銘を受けたというエピソードが残っているくらいだ。当時江戸の人口は約100万人だったが、同心や与力の数は北町奉行と南町奉行を合わせても100人以下だった。ちなみに現在の警視庁の職員数は約45000人である。今より遥かに効率的な警察組織が実現されていたのである。

また、戦で勝った方が敵方の武将をさらし首にするという行為は、武士の規範上必ず行われなければならなかった。足利尊氏は楠正成のことを尊敬していたので、湊川の戦で敗れた正成の首を泣く泣くさらしものにしたと伝えられている。これは明治以降も行われており、佐賀の乱で敗れた江藤新平もさらし首に処せられた。

市中引き回しやさらし首の刑は、近代以前の社会では、日本だけではなく世界中の多くのところで行われていたものと思われる。それは、このような刑罰が本能に即していたからではなかろうか。これを見た民衆は、悪いことをしたり体制に反逆するとこうなるのだということを、肌で実感したことであろう。以前テレビで作家の宮城谷昌光が、中国の権力者の中で民衆から絶大な人気を博するのは、悪い役人を処刑した人物であり、曹操などがその1人だと言っていた。

刑罰の目的は、教育刑などという生ぬるいものではなく、犯罪を抑止すると刑事政策に基づくものでなければならない。そして、刑罰に見せしめ的要素が必要だということは、他国では公然と認められており、日本だけがガラパゴス化しているのだ。中国でもアメリカでもそうだ。中国など、アヘン戦争のトラウマがあるため、麻薬に対しては特に厳しく、運び屋をしただけでも死刑に処せられる。その際、刑が決まった被告人に対して、刑務官は非常に優しく、「オマエはたまたま運が悪かっただけだ」と慰めるのだという。

一方、日本では、刑罰は軽いが、その代わり社会によって制裁がなされている。この間の草薙剛などがそのいい例であろう。有名人の場合、マスコミがよってたかって、市中引き回しなど比較にならないくらいの恥辱を与えるのだ。

今日の社会は、歴史上頽廃の極みに達していると思われる。それは、罰が正常に機能しなくなったからだと、私は考えている。宗教が影響力を失ったため、死後の罰を恐れる人は少なくなってしまった。また、刑事政策と言えば、本当に悪いやつや知能犯はのさばる一方で、獄中にいる受刑者の約2割が知的障害者であり、約半数がIQ90以下の人々である。彼らの多くは食事や居場所を求めて軽犯罪を犯したのであり、本来なら福祉施設に入るべき人々なのだ。

悪人には厳罰を与えなければならないし、弱い人は守られなければならないはずだが、今はその逆が行われている。もっと本能に即した刑罰こそが実施されるべきなのだ。

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