企業内間接殺人
昨年の自殺者の数は3万3,093人で、平成10年以来10年間連続3万人を越えたことになる。自殺者の数は平成9年と10年を境に急激に増加したが、それ以前は2万人台半ばをずっと推移してきた。ちなみに、男女比で言うと、平成15年の統計では、男の23,396人に対して、女は8,713で、男性の自殺者数は女性の約2.6倍となっている。
また、国際比較で言うと、日本の自殺率は世界で第9番目となる。上位は1位のリトアニアを初めとして旧共産主義圏の国々に多いが、先進国では日本が断トツである。例えば、フランスは19位、米国は43位(日本の約半分)、英国は63位(日本の約3分の1)である。上位の国々の多くが貧困や政情不安などの問題を抱えているのに対し、経済的に豊かで政治的にも安定している日本においてこれだけの自殺者を招いているというのは、やはり異常な事態と言えよう。
ところで、自殺の原因に関する詳しい調査が発表された。これは、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクが行ったもので、「自殺実態白書」としてこのほど公表された。この白書は、遺族1000人の対する聞き込み調査をもとに作成されたもので、日本における自殺の実態を把握するための、最新かつ最も詳細な調査報告書であると言えよう。ライフリンクは、民間有志のグループで、東京大学経済学部のプロジェクトチーム、弁護士、精神科医、一般ボランティアなどによって構成されている。この団体の性格については現段階では不明だが、1000人の遺族に対して聞き込み調査を行うためには、個人情報の入手が不可欠であるので、政府と何らかの協力関係をもっているものと推測される。
しかし本来、このような調査は、一民間グループに任せるのではなく、厚生労働省なり警察庁なり、行政が率先して行い、白書として公表するべき性質のものではなかろうか。また、平成10年に急増したのなら、もっと可及的速やかに実施されてしかるべきであった。民間のNPOが動き出すまで、国による本格的な調査が何も行われなかったというのでは、この問題に対する姿勢を問われても仕方がない。2006年に成立した自殺対策基本法には、「国及び地方公共団体は、自殺の防止に関し、調査研究を推進し、並びに情報の収集、整理、分類及び提供を行うものとする」とある(第11条)
さて、その内容についてだが、自殺原因・動機を特定できたものの内訳は、「健康問題」が44%。「経済生活問題」が22%、「家族問題」が11%、「勤務問題」が7%、「男女問題」が3%、「学校問題」が1%、その他、となっている。そして、「自殺実態白書」では、これらの要因を地域別に分類した膨大な統計調査が行われている。
今回の調査で明らかになったのは、自殺は一つの要因によって引き起こされるのではなく、様々な要素が複合的に絡み合いながら発生するといった自殺のメカニズムである。例えば、自殺要因で一番比率の高い因子は「健康問題」であるが、そのうち約半分がうつ病である。しかしうつ病は、自殺に至るプロセスの最終段階と言ってもよく、それまでに、事業不振、過労、職場の人間関係、身体疾患などいった問題を抱えていたケースが多い。次に多いのは「経済生活問題」であり、そのうちの約半数を借金問題が占めている。これについても同様で、それに至るまで経緯には複数の要因が関与している。
中でも注目すべきは職場要因であり、30代の働き盛りに自殺者が増えていることからも、この要因の重要性がうかがえる。これに関しては、正社員にあっては労働負荷、非正規社員にあっては不安定雇用などの問題が一般に指摘されているが、一筋縄では行かないことは他の類型と同じである。
すでに述べたように、この白書では、市町村ごとに詳細な調査が行なわれており、それがこの資料の大半を占めていると言っても過言ではない。大変な労力が費やされたことは疑いもないが、このような分類に果たしてどれくらい意味があったのか、今一つぴんと来ないというのが正直な感想である。
例えば、自殺者が一番多いのは秋田県で、1~10位までの6県は東北・北陸などの寒冷地が多い。これは、自殺率の高い旧共産圏の諸国にも緯度の高い地域が多いこととも符合し、気候条件との関連性を示唆していると言えなくもない。日照時間と自殺率の関係については、この白書では否定的だが、例えば、ラテン気質は陽気だと言うのは洋の東西を越えた常識と言ってもよく、その逆も真なら、日照時間とうつ状態があながち無関係であるとも言いきれまい。そして、うつ症状が自殺の引き金になることはすでに証明済みなので、三段論法式に言えば、日照時間の短い北方地域において自殺率が高まるという仮説には、全く根拠がないとも言いきれない。
しかし、たとえこのような事実が証明されたとしても、自殺対策と直接には結びつきにくい。富裕層には転地療法が可能であっても、ほとんどの人々にとって、自殺リスクが高いからという理由で移住するという選択肢はありえないからだ。したがって、このような地域ごとに詳細な分析を加えたことの目的が、今一つよくわからない。もちろん、自治体の努力によって自殺率が改善されたかを評価するためには、このような調査が有益だろう。しかしそれは経年的変化を見ることによって明らかになるのであって、このような単年度の調査からそれを読み取ることは不可能である。
私見を言わせてもらえれば、自殺防止と言った問題に関しては、単に客観的データーを集めるのではなく、自殺対策と直結する問題を重点的に取り上げ、掘り下げていくべきではないかと考える。
このような観点に立った場合、まず自殺の原因が、内因的なものであるか外因的なものであるかで区別することが大切である。外因とは環境要因のことを指し、内因とはそれ以外の、個人の内面的問題に起因する要素が大きい場合のことを指す。そしてさらに、外因的自殺のうち、加害者のある自殺とそうでない自殺とを明確に線引きすべきである。
自殺が内因的であるか外因的であるかについては微妙な問題で、それこそ聞き込み調査などの資料に基づき、ケースごとに具体的に判別していくより他なかろう。
例えば、有名なデュルケムの「自殺論」によれば、都市における孤立感やアノミー(社会規範の崩壊)が自殺の原因になりうることが示唆されているが、このような自殺に関しては、とりあえず内的要因として分類したい。また、負債による自殺でも、少額の借金で、しかも1回の督促も受けないうちに死んでしまうケースがあるが、これについても同様である。統合失調症などの場合は、もちろん内因的自殺である。
私が、外因的自殺と考えるのは、通常の人でも、耐えがたいほどの苦痛を受け、自ら命を絶ってしまっても不思議ではないような精神的状態にまで追い込む、具体的状況が存在した場合のことである。
なぜこのような基準を考えたかと言えば、それは自殺防止対策上、両者はアプローチが異なると思われるからである。内因的自殺の対策としては、広義のメンタルヘルスケアーの普及によって改善できると思われる。当然かかわる人も、精神科医やカウンセラー、行政のケースワーカー、いのちの電話の相談員といった人々が中心となる。要するに、心の病の治療ないし、カウンセリング等による現状認識や価値観の改善によって、自殺回避に導くことが可能な場合である。
一方、外因的自殺の場合、過酷な労働実態等が現実に存在するわけだから、状況そのものに対して働きかけを行っていくことが肝要である。例えば悪質な労働条件の企業には業務改善命令を出したり、あるいは、取立の厳しい金融業者に対して行政処分を行ったりすることである。状況そのものが自殺を誘発しているのだから、それが改善されなければ、第二、第三の犠牲者を招くことになるだろう。
そしてさらに強調しておきたいのは、外因的自殺の中でも明らかに加害者が存在する場合についての取り扱いである。この場合、刑事的立件を視野に入れた捜査がもっと強力に行われるべきではなかろうか。
白書では、自殺危機要因の「勤務問題」の下位項目として、「仕事上の失敗」、「上役等の叱責」、「人間関係の問題」、「職場のいじめ」などが挙げられている。しかし一口に職場の問題と言っても、単なる不和や意見対立の場合と、集団的いじめやパワーハラスメントなど加害者が存在した場合とでは、その意味は全く異なる。また、聞き込み調査の中には、長時間の残業を強いられ、それが元で病気になったら今度は解雇を言い渡されたという事例が紹介されていたが、この場合、その企業に加害行為があった見なされるべきなのではないのか。
私に言わせれば、これら加害行為によって引き起こされた自殺は「企業内間接殺人」に他ならず、自殺対策上特に着目して改善していかなければならない。
自殺対策基本法は、自殺が個人的問題ではなくその背景に社会的要因があることを認めている(第2条)。そして、自殺防止対策を真に実効あらしめるためには、明らかな加害者が存在した場合にはその犯人を特定することが重要であることを特に強調しておきたい。つまり、過酷な労働条件、組織内のいじめ、またパワーハラスメントが引き金となって、地球より重いと言われる命が奪われたとしたら、その原因を作った張本人なり組織なりに対して、何らかの刑事責任が問われるべきだということである。同じ過ちを二度と繰り返させないためにも、処罰が必要である。また、遺族にとっても、肉体的暴力があった場合殺人罪や傷害致死罪が適用されるのに、心理的暴力によって死に至った場合は、適用する法律すらないというのは、あまりに納得のいかない話であろう。
企業内の問題に対して、警察や労働基準監督署はもっと強力に介入すべきである。これが、長年中小企業のとんでもない実態を見てきた私の、心の叫びである。企業内で起きている暴力に対して、今まで国家はあまりに無関心でありすぎたのだ。
この調査においても、「上役等の叱責」などという言葉でお茶を濁さず、職場で何が起こったのかについてもっと追及してほしい。このような話は、恐らく家族にすら隠している可能性があるので、調査対象は遺族だけでなく、元同僚たちにも広げられるべきであろう。そして、徹底した調査は、国家の名の下に行われなければ、企業の協力も得られないであろう。そして、一次調査によって、「企業内間接殺人」の疑義のある企業に対しては、強制検査を視野に入れたさらなる調査が必要であろう。人の命が奪われたのだから、過去をほじくりかえすようなことがあっても、それは認められるべきである。現在の法制度によって、このようなことが可能かどうかはわからぬが、オーム事件の折カッターナイフを持っていただけで銃刀法違反で逮捕した融通無碍さをもってすれば、何でもできそうな気がする。もし法的整備が必要なら、パワーハラスメント防止法などを早急に作ればよい。年間3万人という自殺者の数は、それほどに重たい意味をもつ数字なのだ。
自殺増加の社会的背景には、単なる経済的側面だけではなく、企業による社会的暴力の問題が潜んでいると、私は確信する。今まで政府は、これにほとんで手をつけてこなかった。もちろん「企業内間接殺人」が起こるような企業は普通の会社ではない。しかし、このような会社の存在は、一般に思われているより遥かに多いのである。反社会的勢力の闇は、従業員10人以下の企業を中心に果てしなく広がっている。国は、ライブドアやグッドウィルのような大企業には法の網をかけても、アミーバーのように形や居場所を変える悪徳企業に対しては、ほとんど手を打つことができないでいる。それは労働基準法がザル法であり、労働基準監督官が、タイムカードや労働災害のチェックのみに終始し、特別司法警察職員としての本来の役割を果たしていないからである。
反社会的勢力が巣食う悪徳企業においては、「企業内間接殺人」どころか、現実の殺人まで起きているが、それはほとんど事件化されていないと、元企業舎弟企業準構成員だった作家の浅田次郎氏は指摘している。一方、刑務所は、万引きや無銭飲食で捕まった知的障害者やボーダーの人々で溢れ返り、知的障害施設の様相を呈している。(「刑務所は知的障害施設か?」参照)今日の刑事政策において、逮捕すべきは誰かという「罪と罰」の根本問題が疎かにされているのではなかろうか。
国家その始原において、反社会的勢力や暴力勢力を鎮圧・駆除することに、一義的存在理由があったはずだ。ところが、現在は、経済政策にばかり血道を上げ、本来の機能が見失われ、知能犯や悪徳企業の天国と化してしまっている。自殺増加の問題を契機に、国家は本来の己の役割に目覚めてほしいものだ。


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