2009年7月26日 (日)

ハローワークへの恨み

 千葉県で、ハローワークの女性職員が、求職者の女性からガソリンをかけられ火をつけられ、火だるまになって重傷を負うという事件が起こった。容疑者の女性は「仕事を探していたが見つからず、自暴自棄になって脅かそうとした。自分も死のうと思った」と語っている。深刻な雇用情勢の中、とうとうハローワークにも不満の矛先に向けられたというわけだ。職員にとっては気の毒なことだが、ハローワークに対する恨みつらみというのはわからぬではない。私にとってハローワークとは、余計なことに口を出す一方、肝心なことは何もやってくれない無力な公共機関であるからだ。

このブログのタイトルは、私自身のある個人的な出来事に基づいているが、それもハローワークにまつわるものである。すでにどこかで書いたと思うが、もう一度述べておこう。

私は、以前、偶然にも企業舎弟系の会社に就職する羽目になった。この会社は大袈裟でなく、正真正銘のさる広域暴力団系列で、今年になって、社長が逮捕されマスコミでも報道された。なぜこんな会社に入ったのかというと、ハローワークの紹介である。しかし、そのこと自体を恨んでいるわけではない。有象無象の企業から、求人依頼が来るわけだから、それをいちいちチェックすることは不可能であろう。私自身企業舎弟であることを明確に知り得たのは、社長逮捕のニュースにふれてからのことである。しかし、とんでもない会社であることは、在職中から感じていた。

幸か不幸かそこは短期間で解雇され、その際、解雇予告手当が支払われなかったため、労働基準監督署に相談に行った。そして、名刺を差し出した途端担当者の表情が変わった。つまり、その会社の退職者からのクレームが殺到していたというわけだ。そして、一言、

「こういう会社は、私どもの行政指導では手に負えないので、ご自身で裁判していただくより他ないと思われます」

と言ったのだ。要するに、門前払いということだ。

しかし、話はそれで終わらない。労働基準監督署が匙を投げてしまった以上解雇予告手当の請求は諦め、同じ建物内にあるハローワークに行くと、なんとその企業の求人がまだ紹介されていたのである。私は怒り心頭に発した。これでは、ハローワークがヤクザ企業の片棒をかついでいるのと同じではないか。

私と同時にその会社に入った者が何人かいたが、会社の実態を知ると、みんな辞めていった。中には、大手証券会社を辞めて、この会社に来た者もいた。ハローワークが紹介を中止しなければ、犠牲者がどんどん増えていくのである。よく縦割行政の弊害が指摘されるが、労働基準監督署とハローワークは共に厚生労働省東京都労働局内の部署である。同じセクションにも関わらず、全く連携が取れていないというのはいかがなものであろうか。

 ちなみに、インターネットの就職情報サイトでこの会社のことを検索したことがあるが、人の入れ替わりが激しい会社の可能性があると警告を発していた。民間の情報サイトですら注意を呼び掛けているのに、公共の機関が指をくわえて傍観しているというのはどういうことだろうか。行政による不作為の罪は大きい。

 私は比較的多くハローワークを利用している方だと思うが、不満は他にもある。もちろん個々の職員の中には、親切に対応してくれる者もいるが、仕組みそのものに問題があるという印象を拭えない。

 例えば、男女雇用機会均等法の5条に「事業主は、労働者の募集及び採用について、女性に対して男性と均等な機会を与えなければならない」という規定があるため、ずいぶん前から、募集に男女の区別を明記できなくなっている。これは、民間の就職情報誌も同様の規制を受けているが、これに不便を感じている人は少なくないと思う。事業者は結局は自分の希望する人材しか採用しないのだから、求職者は、最初から見込みのないところに連絡を取ったり履歴書を送ったりしなければならないことになる。無駄足を踏むのは馬鹿らしいので、男女どちらの募集なのか憶測したり確認したりすることになるが、それにしても余計な手間が増える。民間の情報誌などの場合、すでに、女性募集の場合女性の写真を掲載するというルールまで確立されているが、知らない者にはこのメッセージは伝わらない。

 そもそも性別によって仕事の適性があるなどというのは当たり前の話であり、それをいちいち規制することの方がおかしいのである。さらに言えば、求人票の表記に規制を加えるだけで、女性の就職を促進できると考えているのもおかしな話である。会社経営者はしたたかである。この程度の規制で、方針を変えたりしない。このようなきれいごとは、利用者の混乱や負担を招くだけで何の役にも立っていない。ハローワークのくだらぬ人権配慮によって、みんなが迷惑しているのである。

 ハローワークはこれに懲りず、さらに余計なことをしてくれた。それは、年齢指定の制限であり、求人票に「~歳まで」という掲載ができなくなってしまった。もちらん、年齢差別につながるからという理由からだが、これが何のメリットもないことは、前述の場合と同じなので繰り返さない。これも民間情報誌に適用されているが、その場合、若い人の写真を掲載したり、「20代中心の若い人の職場です」と書いたりすることによって募集年齢が憶測できるようになっているようだ。

ハローワークでは、当然ながら、このような間接情報を掲載するわけには行かないので、求人票から事業者の本音を読み取ることはできない。そのため、苦肉の策として、職員が、会社に電話をかける際、年齢が高いと採用の見込みが薄いかどうか確認したりして対応している。

まさに茶番という他ない。意味のない規制を設けた結果、そのしわ寄せが利用者や現場職員に来ているのだ。

マザーズハローワークなども同様である。数年前まで、私は、交通の便のよい渋谷のハローワークをよく利用していたが、ある日突然女性専用のマザーズハローワークに変わってしまい、男性は利用できなくなってしまった。だいたい求人票に男女の区別を記載することすら禁じている人権感覚にやかましい役所が、建物を男女別々にすることには何も感じないのであろうか。そもそもハローワークを男女に分けることによって、どんなメリットがあるというのだろうか。女性専用車両とはわけが違う。マザーズハローワークという名前だけはカッコいいが、何となく時代の空気に便乗しただけだという気がしないでもない。

 ハローワークの正式名称は、今でも公共職業安定所である。このようないかめしい名前がついているのだから、国家権力を使って企業に対する規制や行政指導が行われているのかと言えば、そんなことはない。求人に男女差別や年利差別をなくすように強制する権限など当然持ち合わせていない。それで、求人の表記に規制を加えることによってお茶を濁しているだけで、利用する側からすればありがた迷惑な話である。

ならば情報量が多いかと言えば、民間の求人情報誌が多数発行されている中、この点においても情報誌に遥かに後れをとっている。

求人情報誌では、前述したように規制の隙間をくぐって、利用者の便宜を図るべくさまざまな工夫がなされているので、今後差はどんどん開いていくことだろう。

 また、ハローワークでは求職者に仕事を紹介した際、紹介状を発行し、面接の際それを先方に手渡すことになっている。そして、事業者は、採用・不採用の結果をハローワークに報告し、不採用の場合はその理由を書かなければならない。これなども、双方に負担を強いるだけで、何の役にもたっていない。採用・不採用は会社にとって影響が大きいので、こんなハガキ一枚で圧力がかかるはずがないのである。

 そもそもこんな小手先の方法によって、就職状況が改善されるわけがはない。もし規制をするなら、もっと強力なものにするか、事業者にメリットを与えるかである。

 規制として是非やってもらいたいこととして、悪徳企業対策がある。今日、悪事は、ほとんどの場合、個人ではなく会社という組織を通して行われている。それに一般市民を巻き込むようなことは、何としてでも防がねばならないはずだ。ハローワークや労働基準監督署はそのような情報が寄せられるポジションにあるのだから、それを積極的に収集・活用すべきであろう。それをしていないのは、怠惰と言えないだろうか。

一方、事業者にメリットを与える点に関しては、積極的に雇用した企業に対しては、税制上の優遇措置などのインセンティブを与えることだろう。きれいごとだけは並べるが、自分の財布を痛めることは一切しない、これが労働行政の本音と言っていい。

ここまで書いてきて、このような行政のあり方は、このブログでしばしば指摘している「肥大化したヒューマニズム」の構造ときわめてよく似ているのではないかという気がしてきた。あるいは、私自身が似たものに反応することの現れなのかもしれない。私からすれば、求人票に性別や年齢の記載を禁止することは、過剰なヒューマニズムである。今日、この手の人権感覚が、社会のあらゆる局面に蔓延しているのではなかろうか。表層言語のみで語られるこういった無用な人権感覚の正体について、我々はもっと注意を払うべきなのだ。

 

2009年7月20日 (月)

臓器移植法改正に思う

臓器移植法改正がA案で参議院も通過し、ようやく可決した。本当に良かったと思う。

逆に言えば、このようにまともな法案が通るために、何故12年もの歳月を費やさなければならなかったのか、ということである。

A案の骨子は次のものである。

    脳死は人の死である。

    本人及び家族は、脳死判定や臓器提供を拒否できる。

    提供者(ドナー)の年齢制限を撤廃する。

    本人の意思が不明の場合、本人代って、家族が提供を決定できる。

原則本人が意思決定するのが望ましいには違いないが、その年齢に達していなければ、家族が判断するより仕方がない。

A案に反対する家族の声として、もしこの改正案が通れば、脳死と判定されたら臓器を提供しなければならないという世論が強まるのではないか、といったものがあった。そして、この声に同調する専門家や議員たちも数多くいたに違いないない。しかし、そのようなくだらない理由により、長い間臓器移植が抑制され、助かる命が失われてきたのかと思うと、情けなくなってくる。親なら、決然と拒否すればよいだけの話ではないか。

これは、生命倫理の問題と言うより、個人主義が未塾な日本人の問題ではないかという気さえしてくる。複雑な問題であればあるほど、人によって意見がまちまちであって当然である。したがって、当事者が判断するのが一番望ましいに決まっているのだ。

慎重論の名の下にこの問題が長い間放置されてきたことは、犯罪に等しい。A案の中心人物、河野太郎議員は、不作為による間接殺人だと言っていたが、私も全く同感である。

もう一つ、慎重論の根拠となったものに、日本文化の特殊性があった。これは、1997年の臓器移植法の際設立された脳死臨調でも議論になった。同臨調の梅原猛などは、西洋文明では死んだら死体は物質になるが、日本人にはそのような見方に馴染まないと言って、脳死を人の死とすることに反対した。同臨調の米本昌平は、最初梅原と同様の立場を取っていたが、その後調査を行った結果、この問題における日本と西洋の差はないと結論づけ、自説を撤回している。

確かに、キリスト教的な考え方からすれば、死んだら魂は天国に行くので、遺体は魂の抜け殻に過ぎない。しかし、ヨーロッパ人の精神構造の基層にはキリスト教とは異なる土着的宗教観が残っており、これに関しては洋の東西の違いはそれほど大きくないのである。

このような議論はすでに終っていたのかと思っていたが、今回の改正をめぐって再び頭をもたげてきた。いずれにせよ、臓器提供しなければならない空気が強まるとか、日本文化の特殊性とか言った議論は、不作為による殺人を放置する理由としては、あまりにも馬鹿げている。

そして、この間、日本では移植ができないために、海外に渡航して移植手術を受けに行った人が多数現れた。プロレスラーのジャンボ鶴田は、フィリピンで肝臓移植手術を受けたが、その手術で亡くなっている。

渡航先として、アメリカ、オーストラリア、中国、フィリピンなどがあるが、正確な数は把握されていない。実態が把握されない理由の一つに、臓器密売の闇市場が存在することがある。梁石日の「闇の子供たち」は、これをテーマに取り上げたが、この小説は映画にもなっている(阪本順治監督)。

臓器売買によって移植手術を受けるなどというのは、けしてあってはならないことであろう。脳死移植ではないが、以前テレビで、あるアジアの貧しい村では、村人の約半分が腎臓を売っていることが紹介された。人によっては、腎臓摘出後体調を崩し、働けなくなってしまった者もいるという。腎臓の値段も日本円にすれば、30万円程度のかわずかな金額であった。

このような闇市場を根絶する上でも、国内の正規のルートで移植手術が受けられるような環境をいち早く整えるべきである。

体が温かく、髪の毛が伸びることもあり、死んだという実感がないため、死を受けとめることには抵抗があるという、親の気持ちはわからぬではない。しかし、脳死そのものが人工心肺によって作られた状態なので、生きていると感じるのはやはり錯覚にすぎないのだ。今後医療技術がさらに進歩していけば、脳死状態のままいくらでも延命させることが可能となるだろう。

これに類した問題は、認知症においてもある。認知症とは、身体をメンテナンスする技術と、脳をメンテナンスする技術との間におけるギャップがもたらした病と言えなくもない。将来、身体より複雑な構造をもつ脳における治療技術が発達すれば、この問題は解決されるかもしれない。しかし、その間に、身体の医療技術がさらなる進歩を遂げれば、ギャップは解消されないことになる。認知症は、延命治療によってもたらされたという、皮肉な側面をもっている。

以前、対称性と非対称性について述べたが(「肥大化ヒューマニズム」参照)、延命治療は、まさに非対称性の世界の典型ではなかろうか。非対称性は、人間に安全と快適さをもたらした一方、人間の反自然的傾向を助長させてしまった。医療の発達により、乳児死亡率は激減し、感染症を初めとする多くの病気が克服され、人間は他の動物とは比較にならぬほどの長命を獲得した。しかしその半面、人口は爆発的に増加し、人類全体の体重の総量は、他の生物種に比べて飛びぬけて巨大なものとなった。それが今日、地球環境に対する負荷の原因となっているのである。

また、日本のような先進国に限って言えば、年齢構成が逆ピラミット型になり、かつて経験したことのない社会が生まれつつある。昔も、80代、90代の老人はいたが、彼らはいわば超エリートで稀な存在であり、そのため尊敬もされてきた。しかし今日、人口構成における高齢者の割合が飛躍的に増加した結果、さまざまな問題を引き起こしている。これはまさに文明の逆説ではなかろうか。

以前NHKの「長寿の謎を解く」という番組で、家森幸男が、世界各地の食生活の疫学調査を行った結果、ウィグル族のカザフ族の食習慣を、野菜を食べないため短命であるとして批判していた。しかし、カザフ族の人々は、突然天に召されることは幸福な死に方であるとして、満足し喜んでいるのである。私はこの考えにも一理あると思う。彼らは、対称性に近い世界に生きており、長寿のみを基準に、ライフスタイルの是非を判断するのはいかがなものであろうか。

ハックスレーの「素晴らしき新世界」によれば、未来社会では、老人は青年のまま年を取り、ある日突然死する。この作品はアンチユートピアをモチーフに描かれたと言われているが、今日想像される未来社会はもっと悲惨でありかつ深刻である。すなわち、たくさんの医療機器にチューブでつながれた老人たちが、百年でも千年でも長生きするというものだ。さらにコンピューターによる脳へのプラグインが実現すれば、マトリックスのようにベッドで眠ったまま永遠に幻影を見せつづけることも可能となろう。延命技術の行き着く先は、恐ろしい未来なのだ。

過剰な医療行為は、肥大化したヒューマニズムの一つの現れに他ならない。そして、再三指摘しているが、それは、生存権が否定されている現実とのバランスにおいても問題視されなければならない。多数の路上生活者が行き倒れしている中、一握りの裕福な高齢者に対してのみなされる過剰な医療は、不公平以外の何物でもない。さらに、目を海外に転じれば、多くの子どもたちが今も餓死している。一部の人々のためだけの手厚いヒューマニズムなら、あえて放棄すべきではなかろうか。

 不老不死は、かつて権力者の究極の欲望であった。秦の始皇帝しかり、錬金術における賢者の石しかりである。そして、これは一部の特権階級のみに許された邪な欲望に他ならなかった。現代の過剰な延命治療も、これと似ているのではないか。だとしたら、たとえそれが技術的に可能であったとしても、あえて差し控えることも一考に値する。そのような医療からは、人類にとって幸せな未来は見えてこないと思われるからである。そして、無限膨張した人間観から等身大の人間観へと立ちかえるべきなのだ。

2009年7月10日 (金)

信長嫌い(2)

 先日のNHKの歴史秘話ヒストリア(謎の忍者軍団 知られざる“忍びの里”)で、信長によるジェノサイド(大量虐殺)の記憶が、今も生々しく語り継がれている町が紹介された。

1581年の天正伊賀の乱で、信長は、伊賀に対して6万の大軍を差し向けた。迎え撃つ伊賀勢は約九千。圧倒的な軍勢で攻め込み、神社仏閣を焼き払い、伊賀は大打撃を受けた。伊賀忍者の首領、百地三太夫らは柏原城に立てこもったが、信長は忍者を恐れていたせいか、和議を持ちかける。結局、百地三太夫らは紀州へ逃れることとなる。

同番組では、その百地三太夫の末裔と思われる百地氏が、天正伊賀の乱にまつわる忌まわしい記憶について語ってくれた。百地家では、今も、「ち」は血に通じるということで忌み嫌われ、そのため百地の読みも「ももぢ」ではなく「ももじ」なのだという。また、信長に対する反感は百地家だけではなく、地元の人々の間にもいまだに根強く残っているという。

また、百地氏は、無残に頭の砕かれた地蔵を指し、これも信長によって破壊されたものだと語っていた。

ちなみ、信長によって破壊された仏像は伊賀だけではなく、至るところにある。以前関西を旅したとき、このような仏像を私はいくつも見ている。関東にも、破壊された仏像はあるが、それは明治期の廃仏毀釈によるものである。

歴史上の人物を評価する際、ジェノサイドが見過ごされてよいはずがない。信長は、伊賀以外でもたくさんの虐殺を行ってきた。叡山焼き打ちなどは当時でも常軌を逸した行動であったし、長島一向一揆では、2万もの男女を焼き殺している。秀吉が調略を用い戦を避けたことと比べると、信長の暴虐ぶりはいっそう際立つ。「鳴くなら殺してしまえホトトギス」とあるように、稀有の殺人鬼だったのである。

ところで、前回「信長嫌い」で、信長の成果主義について触れた。このことを裏付ける本が見つかったので紹介したい。それは、

谷口克広「信長と消えた家臣たち」(中公新書)

である。

柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興

これらの武将の名はよく知られているが、彼らは、信長の家臣団の中でも勝ち組みであった。

一方、一時は有力家臣でありながら、その後、追放されたり粛清されたりして、消え去っていった武将たちもいる。信長は、他の戦国大名と比べて、追放や粛清が異常に多かったと、同著では指摘している。

追放された家臣の中で比較的歴史に名をとどめているのは、林秀貞(通勝)と佐久間信盛であろう。林は織田家一番家老の出で、1556年、信長と弟の信行の家督争いの際信行側についたが、その後許され降格されることもなかった。しかし、その後24年も経ってから、このことが謀反の罪に問われ、追放されてしまうのである。柴田勝家も信行擁立に加わっていたが、柴田に関してはお咎めなしであった。

佐久間信盛も、織田家重臣の家に生まれ、家督争いの時は信長に味方し、その功績により筆頭家臣となる。その後も、主だった戦いでは常に活躍し、「織田株式会社の副社長」と言われる地位にいつづけた。

ところが、15808月、突然信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ、高野山に追放されてしまうのである。高野山に落ちるときはつき従う者がわずか二、三名だったという。「信長公記」でも佐久間信盛の評価は高く、19ヶ条の折檻状の内容もほとんどが難くせに近いものであった。この中で、信長は「本願寺攻めに5年間もかかり、功績がない」などと非難しているが全くの言いがかりであろう。佐久間信盛は、織田家中屈指の勇将だったのである。

また、同書では、中川重政(柴田勝家と争い、改易)、塙直政(本願寺との戦いで討死。敗戦に怒った信長により所領を没収)、簗田広正(加賀の平定に失敗し失脚)、神部具盛(幽閉後失脚)、関盛信(幽閉)、津田一安(織田信雄により誅殺)、堀秀村(追放)、磯野員昌(追放)等のことが紹介されている。

この中でも、中川重政、塙直政、簗田広正、津田一安などは、柴田勝家らとも同格の有力武将であったが、信長に抹殺されたことによって、歴史から消えていくこととなる。

信長は合理主義者であり、有能な家臣を家柄に関係なく取り立て、今でいう成果主義をいち早く取り入れたなどと言われている。しかし、これらの事例を眺めると、合理主義とはかけ離れたものであったことがうかがわれる。ほとんど気まぐれに、長年仕えしかも功績のあった者をいとも簡単に使い捨てにした。これでは、忠義心など生まれてくるはずもないのである。正当な理由もなく追放したり粛清したりすれば、恐怖が支配するだけで、心から従う者など誰一人いなくなってしまうだろう。

そもそも成果主義とは、個人主義が成立した流動性のある社会においてこそ効果を発揮しうる。戦国武将の場合、家を重視するし、スカウトされた場合を除けば、他の大名の家来となっても重く用いられる可能性は少ない。だから、主君が末代に至るまで所領支配を保障する本領安堵という考え方の方が、武士社会においては合理的なのだ。

また、評価の基準は公正で客観的でなければならない。信長のように恣意的かつ感情的なやり方では、かえって逆効果であろう。これでは、いつ自分が言いがかりをつけられないともかぎらず、明日は我が身という疑心暗鬼が募るばかりである。そのため、それならいっそのこと、こちらの方から先に裏切ってやろうと考える者が出てきても不思議はない。

現に、謀反者が次々と現れ、信長はそれに苦しめられることとなる。天下の趨勢が定まった後も、松永久秀、別所長治、荒木村重による謀反が起こる。本能寺の変もこのような一連の動きの一つと見るべきであろう。

谷口は、明智光秀の謀反を起こるべくして起こったものだと指摘する。当時光秀は67歳だったとする説が有力だが、この説をとれば、光秀は信長や秀吉よりかなり年長だったことになる。さらに嫡男・光慶は13歳とまだ幼く、この年齢要因が謀反の動機の一つとなる。すなわち、光秀は恐らく信長より長く生きることはなく、信長の性格からすれば、自分の死後明智家を取りつぶす可能性がきわめて高い。そこで、乾坤一擲の賭けに出たというのだ。

いずれにせよ理不尽な成果主義が、信長にとって命とりとなったことだけは間違いない。

江戸時代、信長には全く人気がなかった。それは、庶民だけでなく、武士や学者の間においても同様である。例えば、新井白石などは、

「すべてこの人天性残忍にして、詐力をもって志を得られき。されば、その終わりを善くせられざりしこと、自ら取れる所なり。不幸にあらず」

と述べている。

つまり、本能寺の変は自業自得だったというわけである。

私は、この言葉に100%共感する。今まで、今日の信長評価に対してずっと違和感を覚えていたが、私の信長像は、江戸の人々からすればごく当たり前のものだったということになる。

信長の評価が急速に高まったのは、明治以降のことであり、それは天皇家を保護したことによるという。しかし、今日の評価はこれともまた異なり、創造的破壊のシンボルといったイメージが強いのではなかろうか。そしてそれは、多少の理不尽があっても時代を先に押し進めるためには仕方がないといった見方とも重なる。

そして、このような信長観は、経営者の独善・独裁に免罪符を与えているような気がする。経営者、特に中小企業の社長の中に、いかに信長気取りの輩が多いことか。信長のように、突然過去の失敗をあげつらねたり、難癖をつけて解雇するなどという例も枚挙に遑がない。

信長賛美の風潮には、経営者のわがままやパワーハラスメントを助長するといった副作用があり、さらにそれは、社会のモラルにも、悪しき影響を与えているのではないか。

NHK大河ドラマで、信長を批判的に扱った作品は一本もないが、信長の理不尽な言動や、虐殺に手を染めていたことは十分に読み取れる。それでも信長を英雄視するということは、これらの行動を許してしまっているということに他ならない。

しかし、江戸時代の人々はそうではなかった。すなわち、信長の残虐行為をけして許そうとしなかったのである。

当時の識者の信長評は、次のようなものである。

「孝行の道厚からず、ことに無礼におわせしによって、果たして冥加なく早く過させ給なるべし」(小瀬甫庵「信長記」)

「敵国の兵といえば、皆討ちも亡ばさでは叶わざるようにおわしまし」(小瀬甫庵「信長記」)

「信長猜忌、頼朝より勝れり。その残暴、頼朝のなさざる所なり」(太田錦城「梧窓漫筆」)

「局量の狭少なるは、遥かに諸将に劣れり」(太田錦城「梧窓漫筆」)

今こそ、江戸の人々の良識に、見習うべきではなかろうか。

2009年7月 6日 (月)

肥大化したヒューマニズム

大分以前のことだが、手塚治虫の漫画「マグマ大使」の実写版がテレビで放映されたことがある。その中に、少年が怪獣の人質にされたため、本来なら簡単に勝てる相手にマグマ大使が苦戦するという一話があった。しかし、アース(神のような存在)はマグマ大使に、たとえ人類が滅亡しても絶対に少年の命を犠牲にしてはならないと厳命を下す。たった一人の命を救うことと人類全体を天秤にかけることは、おかしいのではないか? 私は、子ども心に違和感を覚えていた。

1977年、日本赤軍が日航機をハイジャックし、バングラディッシュのダッカ空港に強制着陸した後、日本政府に対し身代金16億円と日本に勾留・服役中の赤軍派9名の釈放を要求した。当時首相だった福田赳夫は「人命は、地球より重い」と言って、この要求を呑むという決断を下す。

その後、ドイツでハイジャック事件が起きた際には特殊部隊を突入させ犯人グループを制圧したため、日本政府の対応は手ぬるいと批判を浴びたが、当時の福田首相の判断はむしろ一般的であった。しかし私がひっかかったのは、そのことではなく、福田首相の言葉である

人命を尊重することに異論はないが、「人命は、地球より重い」というのは、いくら何でも言いすぎであろう。言葉尻をとらえるつもりはないが、地球に67億の人口があるとすれば、単純計算すれば、地球の価値は一人の価値の67億倍でなければならないはずである。たとえヒューマニズムであっても、人一人の価値を地球大にまで膨張させるというのは、どこか病んでいないだろうか。

これらは、ヒューマニズム論じる上で象徴的なエピソードだと思う。これを私は、「肥大化したヒューマニズム」と呼んでいる。言葉を替えれば、人類の特権意識と言ってもよい。

ヒューマニズム(人間中心主義)というからには、これは人類のみに適用され、動物や他の生命体は対象外に置かれることになる。だから、生命尊重ではなく、あくまで人命尊重なのだ。そして、ヒューマニズムのもつ重要な側面は、人類のみを特権的存在と見なし、他の生命から区別することでもある。最近、地球環境問題への関心が高まり、自然との共生が叫ばれているが、人間を地球の中の一生命体ととらえる見方とヒューマニズムとは明らかに矛盾する。共生思想は、人類の特権性を放棄することにつながるからだ。

具体的な例を挙げよう。我々は、血のしたたるステーキを何の躊躇いもなく口にする。そして、この背後にある、家畜の大量虐殺という事実に、目を向けることはない。しかし、牛や豚には、犬や猫と同程度の知能があり、それでも無感動でいられるというのは、人類だけが特別という意識、すなわちヒューマニズムによるものだと私は解釈している。

ある小学校教師が、クラスで豚を飼育し、卒業時にみんなでそれを食べるという教育実験を行った。これは、「豚がいた教室」(主演:妻夫木聡)として映画にもなった。いのちの問題を考える上で興味深い試みだと思う。

何を馬鹿馬鹿しいと思う人がいるかもしれないが、少なくとも大昔の狩猟民族には、狩りの獲物の肉を食べるときに、後ろ髪引かれる思いがあった。

そして、これを思想的問題としてとりくんでいる者がいる。中沢新一である。オウムに協力したことでマスコミや学会からパッシングを浴び、しばらく沈黙していたが、最近、次々と著作を発表している(「精霊の王」講談社 他)。これらの著書で訴えている内容は、一言で言えば、「動物を殺すな」ということである。かつてニューアカデミズムの旗手としてもてはやされた中沢にしてはあまりにもシンプルで、ちょっと意外に思われるかも知れないが、彼の関心が今ここにあることは間違いない。

中沢は、この問題を論じる際、文化人類学的知見を用いている。そして、自然と人間とが対等に近い関係性を持っていたかつての世界観を「対称性」と言い、現代人は「非対称性」に陥っており、ここに現代文明が抱える病根があると指摘する。

著書では、主にアメリカ原住民など、狩猟民の神話が紹介されている。狩猟は、弓矢や槍をもって行われるが、この程度の武器では、人間は動物に対して圧倒的優位に立つことはできない。そのため、返り討ちにあって殺されることもしばしばある。そして、獲物を食べる際、自分も殺される危険性があったのだから食べることを許してほしいと祈るのだという。対称性とは、このような人間と動物との力関係のことを意味する。

イルクーツクの神話によれば、ある日、このバランスを崩す決定的な出来事が起きる。すなわち、突然恐ろしく斬れる鋭利な刃物が出現し、人間はそれを使って動物たちを次々に殺しはじめたのだ(神話では動物同士の争いになっているが)。この鋭利な刃物というのが、実は日本刀だったのだ。年代は忘れたが、恐らく11~13世紀頃のことであろう。これは、当時から日本とこの地域に交易があったことを示唆するが、この点については、中沢の叔父、網野義彦の著作に詳しい(「日本社会の歴史」岩波新書)。

ところで、中沢のいう対称性の世界観を見事に実践した日本人がいる。それは星野道夫である。星野は写真家で、アラスカで自然や動物の写真を撮り続けた。そして、アラスカを度々訪れ、現地のエスキモーとも交流を深め、彼が最初に発表した写真集「GRIZZLY」は大反響を呼んだ。その後も写真集やエッセイを書き続けたが、1996年、皮肉にもグリズリーによって命を奪われるのである。享年44歳。まさしく対称性の世界に生きた生涯であった。

我々の自然の脅威から隔絶された非対称性の世界に生きている。そして、その中で、ヒューマニズムや人類の特権意識もまた肥大化していったのである。対称性の世界では、自然に対して謙虚になるが、それは人間の自然に対する相対的価値の低下をも意味する。まかり間違っても、「人命は、地球より重い」などという発想は、生まれてこないのだ。

もう一つ、肥大化したヒューマニズムは、その欺瞞性においても批判されるべきであろう。たとえ絵空事であっても、現実を変えていく力になれば、それなりに評価もできよう。しかし、現実には、「人命は、地球より重い」どころか、最低限の権利である生存権すら否定されているのだ。それは、今巷に溢れているホームレスの人々の実態を見れば、明らかであろう。

憲法で生存権と一番関連の深い条文は25条である。すなわち、

「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

である。

憲法25条には、朝日訴訟という重要な判例がある。

1957年、国立岡山療養所に入所していた朝日茂氏が、月額500円の生活保護給付金では生活できないため、憲法25条に違反するとして厚生大臣を相手どって訴訟を起こした。第一審(東京地方裁判所)では原告が全面勝訴したが、第二審(東京高等裁判所)では敗訴した。その後上告中に朝日氏が死亡してしまったため、養子夫妻が裁判を続行しようとしたが却下されてしまった。

二審の東京高裁が原告の請求を棄却した根拠は、いわゆるプログラム規定説である。プログラム規定とは、実質的には国の努力目標や政策的方針を規定したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないとする考え方だ。要するに、憲法25条はあくまで努力目標に過ぎず、具体的に社会保障をどう実施するかは厚生大臣が決めてよいことになる。その結果、厚生省の監督下にある各自治体の生活保護担当者が給付を認めるかどうかを勝手に判断することができ、憲法25条は骨抜きにされてしまったのだ。

各自治体の担当者の胸先三寸というのは、けして大げさではない。あるケースワーカーは、生活保護の希望者が3回頭を下げてきたら初めて話を聞いてやるなどとうそぶいているそうである。これは、知合いの生活保護担当者から直接聞いた話なので間違いない(もちろん言った本人ではない)。

1957年当時は、戦後間もなくで日本も貧しかったので、裁判官には、生活保護費をどんどん支給していったら財政が破綻するという思いがあったのであろう。ならば、せめて80年代の日本経済の絶頂期に、プログラム規定説を見直す判決が出てほしかった。

今日、野宿する人で溢れ、彼らの生存権があやぶまれ、実際に多くの人が命を落としている。冬の寒さを考えれば、死なない方が不思議なくらいである。

ホームレスの支援活動をしている人の話によれば、65歳以上でないと生活保護を受けるのは難しいということだ。法令で明記されてはいないが、そのような暗黙の了解があるらしい。しかし、リストラされた派遣労働者のほとんどはこの年齢に達していない。ホームレス生活者の生存権保障に関する施策は、おそまつという他ない。

その代わり何がなされているのかと言えば、公園を夜間閉鎖してホームレスの人々を締め出したり、ベンチにわざと凸凹をつけ、寝せないようにすることだ。

「人命は、地球より重い」などという高邁な理想を掲げる前に、まず目の前の現実に取り組んでほしい。

2009年7月 1日 (水)

金持ちは悪だ

私は「オーラの泉」のファンである。先日、同番組のゲストに假屋崎省吾が登場し、自慢の豪邸を披露し、そこで番組が進行した。世界中の美しい物を自分の目で確かめて集めたというだけあって、まるでヨーロッパの王侯貴族のように、豪華なシャンデリアや美しい家具調度で埋めつくされた部屋を次々に案内した。そして、美輪明宏や国分太一も、假屋崎の目利きぶりを称賛した。

しかし私は、この光景に少し違和感を覚えていた。假屋崎は、パートナーと二人だけでここに住んでいるという。そして、各室に大きなシャンデリアがあるため、電気代だけでも月に10万円はかかるそうだ。江原啓之は、この中で必要な部屋は三つだけだなどと指摘していたが、贅沢にしてもちょっと度を越しているのではないだろうか。

ちまたでは、野宿し明日の生活さえ保証されない人々が、次々に命を落としている。そういった状況の中で、王侯貴族のような贅沢三昧の暮らしをすることが果して許されるのだろうか。美輪は、苦労してきたことに対する神様のご褒美などと呑気なことを言っているが、美輪は、貧しい人々への応援歌である「よいとまけのうた」を歌っていたのではないのか。たとえ悪辣な手段で儲けた金でなくても、一個人への行き過ぎた富の集積は、やはりそのこと自体が非難に値すると思う。

実は、この「オーラの泉」の前日に放送された「朝まで生テレビ」の中で、私はある懐かしい言葉を耳にした。

それは、

「金持ちは悪だ」

という言葉である。

発言者は森永卓郎である。これに対して堀紘一が、すかさず、「あなた税金5000万円以上払っているということは、年収は1億以上ですね」とつっこみを入れていたが、森永は、「この中では僕が一番税金を払っているかもしれませんね」と平然と答えていた。

私は、森永が高収入を得ているからと言って、言行不一致だとは思わない。森永は一貫して格差社会を助長する政策を批判してきた。そして、現実が彼の言った通りになり、その結果テレビの出演回数が増え、本も売れるようになっただけの話である。むしろ、金持ちになってもなお「金持ちは悪だ」と言える潔さに敬意を表したいくらいだ。

「懐かしい」と言ったのは、一昔前は、「金持ちは悪だ」という言葉にそれほど奇異な印象を受けなかったからだ。それは、共産主義社会への夢がまだついえていなかった時代のことである。マルクス主義は、労働者から搾取する資本家、すなわち、金持ちは悪であるという観念をもたらした。また、当時はこの思想を掲げる労働組合も強かったので、社会通念とは言わないまでも、金持ち悪徳説に共感する人々も多かった。

ところが、ベルリンの壁が崩壊し、共産主義の本家であるソ連や中国が体制を資本主義よりに変えることによって、来るべき理想社会の目標を失い、金持ち悪徳説もまた衰退していったのである。

近年、新自由主義や金融資本主義が横行し、マネーゲームに明け暮れる連中が途方もない大金を手にする時代になってしまった。これにより、金持ち悪徳説が再び息を吹き返しつつある。そういった中で、森永の言葉は説得力を持ち、心に響くのである。

ところで、金持ちを悪徳とする見方は、資本主義社会固有のものであろうか。もちろん江戸時代にも、ネズミ小僧のように、大商人の蔵から金品を盗みだし、庶民にばらまく盗賊は義賊としてもてはやされた。

しかしさらに時代を遡れば、一個人に過剰な富が集積することを忌む観念は、世界中に存在したと思う。

例えば、文化人類学では、ポトラッチという行動が観察されている。ポトラッチとは、チヌーク語で「贈与」のことを意味し、北太平洋沿岸の北米インディアンに見られる。部族の中で地位や財力のある者は、それを誇示するために、高価な贈り物をする。すると、贈られた者はさらにそれを上回る贈り物を返し、それを繰り返す。これはどんどんエスカレートしていくという。

かつて栗本慎一郎は過剰‐蕩尽理論を主張し、このポトラッチに着目した。そして、このような行動原理は、現在の経済活動にも影響を与えていると指摘している。日本でもかつて、御柱祭りなどでは、親戚や知人を招いて大盤振る舞いするという習慣があったが、これなどもポトラッチに似ているのではないか。

網野義彦によれば、贈与には、通常原始的な宗教観念が伴うということである。例えば、富を集積すると邪気も蓄積され、富をすべて放出しつくさないと、邪気によって、病気や不幸になったりするといったものだ。

もちろん迷信に違いないが、それでも、富の集積を忌む観念は、貧富を是正し平等化を促進する役割も果たしていたはずである。一方、この観念が、ネガティブな方向に働くとユダヤ人差別につながったりする。

ユダヤ人差別について一言だけ言うと、阿部謹也によれば、ユダヤ人は昔から差別されていたわけではなく、13世紀頃までは、むしろ優秀な民族としてヨーロッパ社会の中で尊敬されていたという。それが、重商業主義(15~18世紀)の発展に伴い、彼らを賤視する傾向が生まれてくる。そして、早い段階からユダヤ人には金融業者が多かったという。シェークスピアの「ヴェニスの商人」が発表されたがのが、1590年代なので、その頃にはすでにユダヤ人差別が定着していたことになる。

ところで、日本においても、ポトラッチ的なものがあったかと言えば、私はあったと思う。先ほどの御柱祭の例もそうだが、江戸時代に粋とされた「宵越しの金は持たない」などとも共通するのではないか。ポトラッチは、蓄積された財を一気に消費することである。「宵越しの金は持たない」は、一日汗水流して働いた金を一晩で使い果たしてしまうことをさす。

江戸研究家の故・杉浦日向子は、引っ越しが大好きで、引っ越しの時多くの家財道具をいっぺんに処分してしまい、そのことが快感なのだと述べていた。まさしく粋を実践していたわけだ。

近代社会は、ポトラッチ的風習や粋の精神を不合理であるとして退けたが、そのなれの果てが強欲資本主義である。強欲資本主義の本場アメリカでは、破綻した投資会社の役員が何十億もの報酬を得ているという。彼らは、このような金に邪気が宿るとはもちろん考えないだろう。一方、ビル・ゲイツやジョージ・ソロスは慈善活動に熱心なようだが、彼らには昔の人の感覚が少しは残っていたのかもしれない。

金持ち悪徳説は、復権されるべきなのだ。

2009年6月29日 (月)

不受理・不起訴の闇

 もう7、8年前のことになるが、私の父が、世田谷区内で、小学1年生ぐらいの子供がトラックにはねられるところを目撃した。警察がすぐにやってきて、トラック運転手と子供に事故の状況について尋ねていた。幸い子どもに大した怪我はなかったようだったが、その時運転手が語っていた内容が事実と明らかに違っていたので、父親が口を挟んだところ、警察官から「あんたは、いいから」と言われ、肩を手で押されたという。相手が幼児なら、加害者は自分にとって都合のいいことばかり話すに決まっている。それゆえ、第三者による中立的な目撃証言が、一番客観性が高いはずである。しかし、警察はそれに全く耳を貸そうとしなかったのだ。

帰った父親からその話を聞き、私は怒り心頭に発し、すぐに110当番通報した。事故の概要を述べた後、「だから、警察は信用されないんだよ」と皮肉を言った覚えがある。当時警察の不祥事が話題になっていたからだ。

その後、私のところに世田谷警察署の若い警察官からおどおどした口調の電話が入った。それでも、私が納得しないと見ると、今度は、Uという中年警察官による恫喝めいた電話がかかってきた。まるでヤクザのやり口と同じだった。

2、3日に経って、父親から、世田谷警察署から呼び出しを受けたという報告を受けた。調書を取られたわけでもなく、大した進展もなかったようだが、もうこの件には関わりたくない様子だった。

私は、怒りが収まらず、漫画「カバチタレ」(原作:田島隆)の中で、警視庁に異議申し立てをする際、監察官室に上申書を出すという話があったので、警視庁の代表に電話をかけ、監察官室につないでくれと言ったが、広報に回された。そこでもノラリクラリとした対応を受け、結局動いてくれなかった。さらに、検察庁にも電話すると、検事らしき者が出てきて、警察ともっと話し合ったらいかがですかなどと説教され、それでおしまいであった。

警察関係者に話してみても埒があかないので、地図で事故現場から一番近い小学校を探し出し、そこに電話をかけてみた。すると副校長が出てきて、その事故のことを知っていた。そこで、もし紛争になっているようなら、うちの父親が証人になると言うと、お礼を言われ、とりあえず両親にこのことを伝え、折り返し連絡すると言われた。数日後、副校長から電話があり、子供の怪我は大したことなかったので結構ですと親から言われたとのことであった。やれることはすべてやったと思ったが、やはり釈然としなかった。

それからしばらくして、寺沢有(『警察庁出入り禁止』風雅書房他)という警察不祥事の問題を追及しているジャーナリストの講演会があったので、聞きに行った。若いがなかなか気骨のあるジャーナリストで、非常に面白い内容であった。講演終了の後、名刺を交換し、この事件の経緯をまとめたレポートを手渡すと、数日後メールが届き、証拠がないので取材は難しいだろうとのことであった。

これで、もうこれ以上この問題にはかかわるまいと諦めたのであった。

ところで、裁判員制度がスタートして、世間の注目を浴びている。しかし、事件が起きてから起訴に至るまでのプロセスは、今もブラックボックスの中にある。つまり、誰からのチェックも受けないということだ。裁判制度よりむしろこの方が問題なのではないかとさえ思えてくる。今回のように、警察から無視されるというケースは、けして少なくないからだ。

警察で門前払いされたことで問題になったのが、桶川ストーカー事件(1999年)である。この事件では、女子大生が執拗なストーカー行為を受け、埼玉県上尾警察署に何度も相談に行き、告訴状を出していたにもかかわらず、警察は全く捜査せず、結局殺されてしまい、犯人も自殺するという最悪の事態を迎えた。ストーカー規制法は、この事件をきっかけにできたものである。

しかし、その後も警察は懲りる様子もなく、相変わらず門前払いは起きているようだ。先日知人の母親が振込め詐欺により100万円の被害を受けたため、警察に相談に行ったが、全く取り合ってくれなかった。母親には認知症があり、振り込んだことを全く覚えておらず、被害の自覚すらなかったからだ。家族の者が来ても、被害届は受け付けてくれないらしい。しかし、通帳には送金した記録があり、銀行の監視カメラでも本人がATMを操作している映像が残っている。誰かわからない相手に100万円もの大金を送るわけがないのだから、振込め詐欺に決まっているのだが、それでもダメなのだ。

 些細なことだが、私の携帯に架空請求のメールが届いた時にも警察に連絡したのだが、返事しないようにと言われただけであった。架空請求のメールには、先方の電話番号が記載されており、これにより悪質な業者を捜査できると思ったのだが、そういうことは一切やらないらしい。

 このようにたとえ警察に相談に行っても、被害届を受理するかどうかは、一方的に決められてしまい、受理されなければ泣き寝入りするより仕方がない。

 被害届が受理され、捜査が行われ、犯人が逮捕されても、起訴するかどうかは、検察の胸先三寸である。日本の場合、不起訴の割合は20パーセント前後である。

先日、NHKのクローズアップ現代で、検察審査会のことが取り上げられていた。検察審査会とは、国民の中から抽選で選ばれた検察審査員により、不起訴処分の善し悪しを審査するという制度である。あまり知られていないが、意外と古い制度で、検察審査会法は昭和23年に成立している。佐野洋の「検察審査会の午後」という小説もある。

しかし、これまでは、検察審査会による「起訴相当」という勧告が行われても、最終的な決定権は検察庁が握っていたため、そのまま不起訴処分にしてもかまわなかった。実際、検察審査会の勧告を無視して不起訴になったケースは少なくない。そして、被害者家族が不起訴になった理由を知りたくても、その判断基準さえ開示されることはなかった。だから、被害者家族は検察庁の言うことを、黙って受け入れるより他なかったのである。

ところが、今回、司法制度改革の一環で検察審査会法が改正され、今年の5月からは、検察審査会の勧告に法的拘束力が認められるようになった。これにより、検察庁は、検察審査会の決定を無視できなくなったのだ。

裁判になる手前の段階で、警察や検察の判断によって、多くの場合、物事が勝手に決められてしまう。この決定が正しければ別に問題ないが、人間のやることだから当然誤りがある。その場合、被害者家族は救われないことになる。民事なら訴えれば、とりあえず裁判に持ち込むことは可能だが、刑事事件の場合それができない。この辺に、民事と刑事の大きな違いがある。

そして、裁判制度に問題があることは、今さら言うまでもない。現在、起訴された事件の有罪率は99.9%である。つまり、無罪判決は千回に1回しか下されないことになる。この確率は、ベルトコンベアーに流れてくる製品の検品作業で不良品を発見する割合に近い。いや、不良品ならもっと多く見つかっているかもしれない。このような状況の中では、無罪判決を出す時裁判官に大きなプレッシャーがかかるのは当然であり、このことは、元裁判官によっても語られている(井上薫、秋山賢三)。そしてこれが、冤罪の原因になることは言うまでもない。また、起訴した以上、検察も面子がかかってくるので、不利な証拠は一切出さないといったことにもつながってくる。

先日、渡辺謙主演「平塚八兵衛 刑事一代」が放送された。渡辺謙の熱演でドラマとしての出来は良かったが、あの中で扱われた帝銀事件の平沢貞道は冤罪の可能性がきわめて高いと言われている。そして、我々が見てきた刑事ドラマも、警察が絶対正義であるというイメージを振りまくものばかりである。

絶対正義を希求する大衆心理はどこか幼稚であり、そこには、神の裁きにも似たイメージが重ねられているのではないか。成熟社会を迎え、そろそろこういった意識から脱却しなければならない。そのためには、警察や検察のブラックボックスにメスを入れるような仕組みを作らなければならないだろう。検察審査会法の改正は、その第一歩である。

また、マスコミも、警察や検察情報に頼っているため、警察や検察を徹底的に追及することができない。元大阪高検公安部長の三井環が、検察の裏金問題を告発したが、大手マスコミは一部を除きほとんど報じなかった。警察の場合、反対派閥からのリークがあるため比較的発覚しやすいが、検察の場合は一枚岩の硬い組織なのでリークは稀で、たとえあってもこのケースのようにマスコミによって握りつぶされてしまう。このようなマスコミの警察・検察依存体質は、いち早く改められねばならぬ。

寺沢有は、講演の中で、面白いことを言っていた。それは、第二警察のようなものを作って、別々の組織が互いにチェックするような仕組みを作らないかぎり、警察の不祥事はなくならいだろうというものだ。まさに卓見である。寺沢ら心あるジャーナリストの活躍を、心から期待したい。

 そして、犯罪が、警察と検察の思惑によって取捨選択され、冤罪が量産されていく世の中を根本的にChangeしてほしい。

2009年6月24日 (水)

信長嫌い

私は、織田信長が大嫌いである。何年か前、木下藤吉郎役のガッツ石松が、信長から「サル」と罵倒されたことに腹を立て、ボコボコにしてしまうというCMがあったが、あれを見て胸がスカッとした。あのCMは、信長嫌いの本質をよくついている。もし上司が信長のような男だったら、誰でも同じような気持ちになるのではないか。部下からすれば、単にワンマンでパワーハラスメントの常習者にすぎない。パワハラも信長レベルに達すれば、殺意を抱かせるに十分であろう。

そして、現代の日本で、信長気取りの経営者がなんと多いことか。一国の首相が、自らを信長になぞらえるのだから、それも仕方あるまい。企業経営者なら、部下に対する横暴な振る舞い程度ですむが、信長の場合、その狂気を増幅し現実化させていった。私としては、信長を殺してくれた光秀に、心から感謝したいくらいだ。

ところで、歴史的に見て、信長はそれほど評価に値する偉大な英雄だったのだろうか。評価の理由は、戦国乱世の世を終わらせ、近世に導いたというところであろうが、それなら、江戸時代が良かったことの裏返しということになろう。歴史におけるIFは禁物と言われるが、たとえ信長がいなかったとしても、江戸時代のような近世社会が到来していた可能性は十分にある。社会の本質的変化は、経済発展の必然的結果であり、個人の役割はそれほど大きくはないと考えられる。

藤田達生秀吉神話をくつがえす 講談社現代新書によれば、当時、「天下布武」など言って天下統一への野心を抱いたのは一人信長だけであった。今川義元にせよ武田信玄にせよ、自ら天下を取るなどという大それた野望はなく、上洛して足利将軍を補佐しようと考えていたのである。それはちょうど鎌倉幕府の執権、北条氏のようなイメージではなかったか。当時からすれば、鎌倉幕府の滅亡は250年前であり、それほど昔のことではない。足利幕府には権力はなかったが、源氏名門としての権威は残っていたのである。だから、将軍家を盛りたてていこうと考えるのが普通であり、信長だけが異常な行動を取り、その後継者が秀吉だったことにより、歴史の流れを変えてしまったのだ。

そして、徳川幕府にせよ、幕藩体制という諸国連合だったから、ヨーロッパのような絶対王政は成立しなかった。また、鎖国のため、貿易は限定的なものとなり、その結果幕末には西洋諸国に大きく後れをとることとなる。このような国のあり方は、武家政権である以上誰が権力についても、大筋変わらなかったのではなかろうか。

また、信長は、有能な人材を積極的に登用する、今で言う成果主義を採用したと言われている。一方、林道勝のように織田家に代々仕えていた重臣でも、無能だと追放されてしまう。しかし、この方式が果たして成功したかどうかは疑問である。本能寺の変を起こした明智光秀は、有能さを買われ、織田家重臣となった。まさに成果主義によって大抜擢されたのである。しかし信長は、その光秀によって命を奪われてしまう。謀反の理由については諸説あるが、主従間に信頼関係がなかったことだけは確かであろう。

これは秀吉についても言える。草履取りから大名に取り立てられても、結局は主君を裏切ることになる。秀吉と違って信長には多くの子どもがいたが、秀吉は彼らを後継者にしようとはせず、自分が権力の座におさまってしまう。清州会議で有名な三法師(織田信秀)も、後年秀吉の臣下となる。

このように信長の人材登用は、結果からすれば明らかに失敗であった。信長が追放した林道勝のような代々の家臣団で固めた家康が、最終的には天下を取るのである。

また、悪名高い朝鮮出兵にしても、そもそもは信長が考えていたことである。信長は、朝鮮はおろか明国にまで攻めのぼることを夢想しており、秀吉は単にそれを忠実に実行したにすぎない。単なる夜郎自大の妄想が、今日に至るまで続く日朝間の禍根を残したのだ。

唯一信長に天才的な面があったとすれば、それは軍事面におけるものではないか。長篠の戦で見せたような近代戦を彷彿とさせる戦い方や毛利水軍を打ち破った鉄甲船のアイデアなどは、確かに当時の水準を超えたものであったろう。

織田信長の着想は、どちらかというベンチャー企業経営者のそれに近いような気がする。創業者のエネルギーはあっても、大きな組織を統率するだけの器ではなかったのである。その点では、家康の方が一枚も二枚も上手であった。

そう考えていくと、信長を英雄視する我々の常識にも、再考の余地がありそうだ。しかも、信長は日本史に大きな汚点を残している。それは、ジェノサイド(大量虐殺)である。

今、NHKでやっている「天地人」では、もし本能寺の変がなかったら、上杉家は信長によって滅ぼされていたとされている。

後継者の秀吉は、得意の調略により、比較的平和裏に天下統一を果たしたが、もし信長が統一していたとしたら、もっと多くの血が流されていたに相違ない。それだけでも、本能寺の変の功績は大きい。

さらに信長には、叡山焼き打ちや長島一向一揆との戦いなど、ことに仏教勢力との戦いにおいて、常軌を逸した行動が目立つ。関西を旅すると、信長による宗教弾圧の生々しい爪痕を今でも実感する。このことをもって、信長は無神論者だった言う人がいるが、それは誤りであろう。

大河ドラマ「信長」(緒形直人主演)では、信長は陰陽道の熱烈な信奉者であり、戦の際必ずお抱えの陰陽師・加納随天(平幹二郎)の占いに従って行動していた。また、手紙に自らを第六天魔王と書いたというが、これは反仏教的な傾向をうかがわせる。第六天魔王とは、仏法を滅ぼすために釈迦と仏弟子たちのもとへ来襲する天魔のことで、元々はバラモンの神であった。この点からも、信長は仏教以外の神々を信奉していた可能性がある。

信長が合理主義者であるとする説は、当時来日していたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの「日本史」の記述に基づく。しかし、文化人類学では己の所属する文化的枠組みによって解釈する傾向があることが指摘されており、ルイス・フロイスの言葉をそのまま信じるのは危険であろう。あるいは信長自身が友好関係のあったイエズス会宣教師の喜びそうなことを言った可能性だってある。また、信長は、自らを神体として拝ませるために摠見寺を建立しているが、これは合理主義者の行動として矛盾するのではないか。人間は、時代的制約の中で生きているのだから、いきなり近代合理主義者や唯物論者が現れるわけがないのである。ゆえに、寺院に容赦なく攻撃を加えたのは、無神論者だったからというよりは、仏教と対立する宗教を信じていたためと考えた方が筋が通るのだ。

ところで、私はヨーロッパで、信長とそっくりの人物を知っている。アンチ・クリストで、古代ゲルマンの神々を崇敬し、ジェノサイドを行った者、すなわち、アドルフ・ヒトラーである。私は、以前からは、信長とヒトラーは似ていると感じていた。ヒトラーはワーグナーをこよなく愛し、キリスト教とユダヤ教を否定した。ヒトラーはユダヤ人のみを虐殺したが、ゲルマンの復興という本音からすれば、キリスト教も外来宗教であり、その信者たちを虐殺したかったのであろうが、さすがにそれは現実的にかなわぬとみて諦めたのであろう。またヒトラーには、軍略家としての才能もあった。仏敵とアンチ・クリストの違いを除けば、両者は驚くほどよく似ている。

今日、平和の理念が謳われ、臓器移植法などおいても、命に対して過敏とも思われる反応すら見られる。これほど命が大切にされる時代にありながら、何故、戦以外で大量の殺戮を行った信長がこれほどに英雄視されるのだろう。私には理解できない。

もちろん現在の視点から、過去の人物を評価することはできない。しかし、そのことを差し引いても、今日の信長像には納得がいかないのである。

2009年6月22日 (月)

プロレス論(続き)

興が乗ってきたので、プロレスについてもう少し……。

ミスター高橋は、長年新日マットのレフリーとして活躍してきただけに、暴露本とは言え、『流血の魔術 最強の演技-全てのプロレスはショーである-』には示唆に富んだ指摘が多い。ミスター高橋がなぜこのような本を書くに至ったかと言えば、新日が彼の功績に報いず無慈悲に使い捨てたからである。新日をクビになった彼は、その後警備員になったという。それによって、多くのファンを失うことになったのだから、全く馬鹿な話である。

ところで、ミスター高橋によれば、レスラーの評価基準には「強さ」と「うまさ」の二つがあるという。強いレスラーの代表が坂口征二や長州力で、坂口は柔道で、長州はアマレスで(ただし、韓国代表)、それぞれオリンピックに出場している。一方、うまいレスラーの典型は藤波辰爾である。藤波は、中学卒業後自動車整備工場で働いた後、新日本プロレスに入門したが、その後カールゴッチ杯で優勝して頭角を現し、端正なマスクと華麗な技で人気を博した。後年、長州と名勝負を繰り広げた藤波だが、格闘家としての実力はいまいちで、ガチンコ勝負なら入門1年目の新人にすら勝てないだろうとのことだ。

その点、アントニオ猪木は、「強さ」と「うまさ」を兼ね備えた選手で、それゆえ長年トップの座に君臨することができたのだ。しかし、その猪木ですら、ウィリアム・ルスカのように、日本人とはかけ離れた肉体をもつ外人レスラーには歯が立たず、そのことは猪木自身が一番よく知っていたとのことである。(したがって、猪木・ルスカ戦は100パーセント八百長だそうだ)

日本の場合、上に立つ者にはやはり「強さ」が必要で、馬場や猪木が長い間社長の座につけたのも、実力的裏付けがあったからに他ならない。

女子プロレスの話だが、ジャパン女子プロレスのメインエベントで、神取忍がジャッキー佐藤をボコボコにしてしまったことがある。力道山・木村政彦戦を彷彿させる凄惨な試合だったという。当時ジャッキーはジャパン女子プロレスの中心選手だったが、不満があったのか、神取が筋書き無視していきなりセメントを仕掛けたのだった。この試合がテレビで放映されることはなかったが、スポーツ紙によれば、ジャッキー佐藤は泣きながらリングから逃げ去ったという。このようなことがあるため、弱い者がトップを張るわけには行かないのだ。

しかし、ショウビジネスに徹するアメリカでは、「強さ」は全く評価の対象にはならず、「あの選手は強い」などと言っても、「それがどうかしたのか?」といった顔をされるという。この辺に、日米プロレスの違いが垣間見られる。

そして日本では、「強さ」の神通力は、レスラーたちだけではなく、背広組と呼ばれるフロントにまで通用するようだ。猪木モハメド・アリ戦の仕掛け人として、また新日黄金期の立役者として有名な新間寿(元営業部長)は、その著書の中で、自分が「社長」のことを心から尊敬する理由として、アクラム・ぺールワン戦のことを挙げている。

1976年にパキスタンのカラチで行われたこの試合には、私も鮮烈な印象を持っている。20世紀初頭、インドのグレート・ガマは、アメリカの名レスラー、スタニスラウス・ズビスコを僅か数分で打ち破るという快挙をなし遂げたが、ガマを輩出したインドは、隠れた格闘技大国でもあった。

ガマのインド式レスリングの流れを汲むぺールワンは、当時パキスタンの英雄であった。そして、4万の熱狂的観衆が見守る中、猪木は試合数分後、ぺールワンの腕をアームロックで文字通りへし折ったのだ。今も、ブラブラと不自然な方向に揺れ動くぺールワンの腕の映像がくっきりと目に焼き付いている。新間は、この時リング下にいたが、敵意に満ちた群衆の目にさらされ、本当に殺されるかもしれないと思ったそうだ。そして、この時の経験があったからこそ、猪木の女房役として一生捧げようと誓ったのだという。

しかし、この本が出版されて間もなく、新間は猪木にあっさり裏切られる。新間は、新日プロレス営業部長を解任され、その後、前田日明らによるUWFの旗揚げに参加する。しかし、このような仕打ちにあってもなお、スポーツ新聞紙上を通して猪木にラブコールを送り続けたのだ。この記事を読んだとき、こいつはホモではないかと疑ったくらいだ。

猪木は人を裏切ることが平気なタイプのようで、このようなエピソードは他にもある。しかし、それでも新間の未練絶ちがたかったのは、ひとえに「強さ」に対する本能的な憧れからであろう。猪木には多くの人間的欠陥があったが、それでも新日を牛耳ることができたのは、やはりレスラーとしての実力を誰もが認めざるを得なかったからではないか。

三沢光晴がノアの社長として求心力を持ちえたのも、彼が真に優れたレスラーであったからだ。足利工業大学付属高校レスリング部で国体優勝経験もあり、タイガーマスク時代の空中殺法を思い起こせば、彼が人並み外れた身体能力の持ち主であったことは疑いえない。

三沢はこれに加え、猪木にはない美質があった。三沢は人にやさしく、後輩思いだったという美談にことかかかない人物である。馬場の死後、多くの選手たちを引き連れて全日を離脱したが、それもオーナーだった馬場元子が、当時社長であった三沢にすらボーナスを10万円しか支払わず、選手たちの不満はピークに達していたからだという。そんな三沢であればこそ、プロレス界が低迷する中、他団体との交流においても中心的役割を果たすことができたのだろう。三沢を失ったことによるプロレス界の損失は計りしれない。

ところで、三沢光晴の訃報をめぐるニュースの中で、ある懐かしい人物の顔を目にした。それは、ノア副社長としてコメントしていた百田光雄である。いわずと知れた力道山の次男である。しばらくプロレスから離れていたので、今はノアにいるとは知らなかった。

全日時代の百田光雄は、「6時半の男」として人気の高い前座レスラーであった。兄の義浩とともに百田兄弟として名を馳せたが、兄はすでに他界している。

レスラーとしての、百田光雄の評価は高く、持ち味豊かないぶし銀ファイトが多くのファンを魅了していた。しかし、体に恵まれなかったため、一度もメインエベンターになることなく、地味なポジションのまま、若手の育成に力を注いできた。力道山という偉大な父を持ちながらも、トップの座を張れるだけの実力がなければ、縁の下の力持ちとなるより仕方がないのだ。

最強と謳われたジャンボ鶴田でさえ、肝炎発病後は前座レスラーに甘んじている。そして、ジャイアント馬場の死後、その後を追うかのように静かにこの世を去った。これがプロレスなのだ。

最近、政治家の世襲制の話題で持ちきりだが、八百長と言われつづけたプロレスは、世襲とは最も縁遠い世界なのではなかろうか。恵まれた肉体、身体能力、スター性、三拍子そろった天分を親から受け継ぐことは不可能に近い。坂口憲二は有名になったが、俳優としてである。

才能なき者が、親の七光りだけでスターダムにのし上がるようなことは、プロレスではありえない。プロレス界におけるストイシズムを、政治家は見習ってほしい。

2009年6月17日 (水)

三沢光晴の死

実は私は、プロレスファンである。いや、かつてファンであったと言った方がよいかもしれない。さすがに力道山の時代は知らないが、馬場・猪木の全盛期はこの目で見てきたし、長州・藤波の新日黄金期の頃もテレビにかじりついていた。

プロレスは当初より八百長のイメージがあり、相撲の八百長疑惑などといったものではなく、熱心なファンも含め、プロレスの試合が真剣勝負だと思っていた者はほとんどいなかったのではないか。そこに、レスラーたちの悲劇があった。力道山も長州力も八百長を強く否定し、アントニオ猪木はプロレス最強論を声高に唱えた。猪木はその自伝の中で、「私が強かったのではない。プロレスそのものが強かった」という名言を吐いている。

70年代後半になると、後年直木賞作家となる村松友視が、「私、プロレスの味方です」の中で、プロレスが八百長かどうかということよりも、凄みとドラマツルギーという視点から、プロレス擁護論を展開した。村松の「プロレスはプロセスである」という言葉に、多くのファンたちは合点が行ったのではないか。この凄みを最も体現したレスラーは、やはりアントニオ猪木であった。生涯二度のセメントマッチと言われるモハメッド・アリ戦やアクラム・ペールワン戦は、村松の指摘を裏づけるものとなった。

しかし、90年代に入ると、このようなプロレス観も次第にかげりを帯びてくる。その原因となったのは、やはりK1やプライドなどリアル格闘技の台頭である。エメリヤーエンコ・ヒョードルに新日のエース永田裕志が秒殺され、さらに小川直也もヒョードルにはあっさりと負けてしまった。このような事実の前には、凄みもくそもなかった。

さらにユセフ・トルコやミスター高橋などプロレス関係者による告発本が、追い討ちをかけた。ミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技-全てのプロレスはショーである-』には、アンドレザ・ジャイントに猪木のボディスラムを受けさせるために、1箇月間酒場に連れて行って説得したなどという生々しいエピソードがあり、多くのプロレスファンたちを興醒めさせた。かくいう私も、この本をきっかけに、K1やプライドに関心を移していった。

こういったプロレス凋落傾向の中で、三沢光晴率いるノアが旗揚げした。ジャイアント馬場が亡くなってすぐ後のことである。このような理由から、私は、ノアの試合をほとんど見たことがない。こうしてノアは細々と興業を続けていたが、深夜の時間帯のプロレス中継まで打ち切りが決まった直後に、三沢は帰らぬ人となったのである。

三沢は2代目タイガーマスクであったが、私は劇画「タイガーマスク」にも夢中になった世代である。物語のタイガーマスク(伊達直人)はトラックに轢かれて命を失う。そして、意識が薄れゆく中で、自分がタイガーマスクであることを知られぬよう、覆面を川に流すのだ。伊達は、自分がかつて世話になった孤児院「ちびっこハウス」に援助をしていたが、同ハウスの寮母ルリ子は、タイガーマスクの正体が伊達直人であることに気づいていた。タイガーマスクの死を知って悲しむ子どもたちにルリ子は、星空を指差してタイガーマスクは星になったのだと語りかける。そして、夜空にタイガーマスクの星座が浮かびあがるシーンがラストだったように思う。

バックドロップでマットに叩きつられて幕を閉じた三沢光晴の人生は、ある意味劇画以上にドラマチックだったと言えるのかもしれない。

ところで、初代タイガーマスクは佐山聡だが、つい先日、「行列のできる法律相談」の北村弁護士の「私の会いたい人」というコーナーで、久しぶりにテレビに登場した。今は掣圏道掣圏真陰流という実践格闘技を創設し、その指導者になっている。テレビでは、「夢をこわしてはいけないから」と言って終始タイガーマスクの覆面を脱がなかったが、プロレスファンなら、佐山の素顔は誰でも知っている。ちょっと茶目っけぶりを発揮したのであろう。佐山もすでに50歳を過ぎており、あるいは老けた素顔をさらしたくなかったのかもしれない。

この番組以外で、しかも実に意外なところで佐山の名を目にしたことがある。それは、一水会のホームページである。一水会の主催の講演会の講師リストの中に、佐山の名前を発見したのだ。最初、同姓同名の別人かと思ったが、彼はれっきとした右翼活動家だったのである。

二人のタイガーマスクは、どちらも個性的で、波乱に満ちた人生を送っているようだ。

そしてこれは、タイガーマスクの産みの親である梶原一騎についても言える。先日、少年サンデー、マガジンの創刊50周年企画でドラマが放送されたが、その中に梶原一騎が登場したので、懐かしくなって斎藤貴男の「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」を読んだ。晩年には暴力団との関係が噂され、自らも暴力事件を引き起こして逮捕、そして刑務所を出てから大病に倒れ、50歳の若さで他界する。梶原一騎の人生もまた波乱に満ちたものであった。

虎は自然界最強の動物であり、中国・韓国では荒ぶる自然の象徴として、神の座に祭り上げられている。虎と縁を結んだ人々もまた、平凡な生き方を許されていなかったのかもしれない。

2009年6月15日 (月)

祝祭としての刑罰

私が日本の刑事制度についていつも感じるのは、言いようのない陰湿さであり、ホンネとタテマエの乖離である。

憲法36条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対に禁ずる」と明記されているにもかかわらず、志布志事件で明らかなように、取り調べ中に心理的拷問が行われていた。この事件で報道された行き過ぎた捜査は、直接的暴力以上に人の心に深い傷を与えるものだ。

また、「疑わしきは被告人の利益に」などと言いつつ、周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」を見ればわかるように、大した合理的理由もなく、有罪判決が次々に出されていく。「行列のできる法律相談」の中で、北村弁護士は、痴漢の罪を着せられそうになった時の対処法として、「全速力でその場から逃げ去る」と答えている。つまり、専門家の目から見ても、警察や検察や裁判所は信用できないということだ。また、同番組で以前丸山弁護士は、裁判官と検察官はいわばチームのようなもので、いつも同じ顔ぶれで、ベルトコンベアーの流れ作業のように事件を処理していると述べていた。

また、憲法76条には裁判官の独立が高らかに謳われているが、裁判官の人事権は、最高裁判所、実際には法務官僚が握っている。「狂った裁判官」の著者で、日本で二例しかない再任拒否をされた元横浜地裁判事の井上薫も、多くの裁判官が出世のことを考えながら判決を下していると述べている。

長沼ナイキ基地訴訟で自衛隊に違憲判決を下した福島重雄判事は、事件の翌年、東京地裁の手形担当に異動となり、停年時は家裁判事として退官している。こんな見え見えの懲罰人事がまかり通れば、己の良心に従って判決を下すことなどできっこないのだ。憲法で謳われた裁判官の独立性など、所詮絵に描いた餅にすぎない。なお、福島元判事は、この4月に事件を回顧した著書を出版している(「長沼事件平賀書簡 35年目の証言、自衛隊違憲判決」 日本評論社)

このような陰湿さは、刑罰においても言える。

多くの伝統社会において、刑罰には、祭りと似たような機能があったのではないか。衆目環視の中で刑を執行することは、共同体との関係性の回復といった側面もあったように思われる。江戸時代に行われていたという市中引き回しとかむち打ち等は、まさにそのようなものであったはずだ。故に、現代のようにただ密室に閉じ込めておくよりカラッとしており、見せしめの意味がある一方、社会復帰の点でも効果的であったのではないか。大勢の前で恥をかかせられた者に対しては、許しの感情が自ずと湧いてくるものだ。

中国では2007年まで公開処刑が行われていたというが、一方、社会の受入は日本より遥かにスムーズで、前科のある知事や経営者がたくさんいたという。日本とは異なり、獄中にいたという経歴が社会的にマイナス評価につながらないのだ。(王雲海「日本の刑罰は重いか軽いか」集英社新書)

人の犯した罪が、その社会の一定の許容範囲を越えた場合には、死刑が執行されねばならない。しかし、これに関しても密室で行われた方が人権に配慮されているなどとは、必ずしも言えないように思う。もしイエス・キリストが磔の刑に処せられなかったら、キリスト教の歴史は異なったものになっていたろう。ヨーロッパ社会は後年キリスト教を受容することになるので、その結果、権力と戦った聖者としてのイエス像が確立される。一方、石川五右衛門のように、純然たる悪党でも、処刑は人生の幕引きに花を添えるものである。もし石川五右衛門が現代に生きていたとしたら、密室の中で絞首刑にされるのと、大勢の前で釜茹でにされるのと、どちらを選んだであろうか。

現代ではプラバイバシーの保護が尊重されるあまり、何でもかんでも密室化することが善であり、人権に配慮することだと思われがちである。その結果、公開処刑という、癒しや関係性の回復、道徳教育、そして祝祭の機能を持つ場が一切否定されてしまったのである。公開処刑にはもちろん残虐で非人道的な面もあるが、本人の同意さえとれば、今日においてもこのような選択肢があってもよいと思う。もし麻原彰晃の意識がはっきりしていれば、真っ先にこのような道を選ぶべきだろう。

また、ガンも本人に告知するようになりつつあるが、死刑の執行日も死刑囚に早めに伝えるべきではなかろうか。いつ呼ばれるかわからぬ中で日々怯えているよりも、その方がよっぽどましだろう。そして、執行方法は一律に絞首刑だが、それも本人に選択させたらどうだろうか。L.ソンディのように、死の様式を無意識の根源的衝動と捉える心理学者もいる。死に方という人生最後の選択ぐらい、本人にさせてやるのが本当の意味で人道的なのではないか。これは何も公開刑のことばかり言っているのではない。もしこのような選択を与えたら、薬物死を望む者が多く出てくるのではないか。

現代の刑事制度は陰湿で、人間の生理とかけはなれたものになってしまっている。近代以前の制度から、もっと学ぶべきところがあるような気がするのだ。

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